<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>ベリーダンスナジュム福岡</title><link href="https://www.bellydance-najm.net"></link><subtitle>ベリーダンス ナジュム福岡&#xA;-福岡のベリーダンス教室-</subtitle><id>https://www.bellydance-najm.net</id><author><name>りら</name></author><updated>2026-04-12T12:03:48+00:00</updated><entry><title><![CDATA[整える日]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58735511/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/56b6268fd2fd1ba6121b695b31dae991_beca469a0f99a7f91a9f961bf76b9c59.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58735511</id><summary><![CDATA[久しぶりに、拭き掃除をした。去年の11月頃から、私が住むマンションでは、壁や共有部分の床、ベランダの補修工事が続いていた。足場が組まれ、作業員の方たちが出入りし、建物全体は布で覆われ、窓も開けられない状態。ベランダにあった植物も室内へ移動せざるを得ず、湿気や落ち葉がたまり、換気もできないまま、空気はどこか淀んでいた。そこに加えて、コンペの準備に追われる日々。掃除や断捨離に手をつける余裕もないまま、年を越した。そして先日やっとエストニア遠征を終え、帰国してからも落ち着く間はなく、家でゆっくり過ごす時間すら取れない日々が続いていたが、ようやく工事も終わり、私自身も朝練以外に何も予定のない日が昨日今日と続いた。重い腰を上げ、掃除に取りかかる。窓を開け、空気を思い切り入れ替える。そして、床を水拭きする。たったそれだけのことなのに、部屋の空気は一変する。どんよりと淀んでいたものが、霧が晴れるようにすっと取り除かれていく。磨かれた床は、神々しいほどに輝き、家全体が喜んでいるような、不思議なエネルギーに満ちあふれる。最初は、リビングのほんの小さなスペースから始める。そこから少しずつ、窓枠に溜まった埃、カーペットの下、廊下、お手洗い、脱衣所、浴室、玄関、キッチンへと、拭き掃除の範囲を広げていく。一度にすべてをやろうとすると、すぐに疲れてしまうから。小さなエリアを拭いては休み、読書をし、お茶を飲み、チョコをつまみ、また立ち上がる。そんなふうに、無理のないリズムで過ごしたこの2日間。気がつけば、読書も拭き掃除も、驚くほどはかどっていた。部屋が散らかり、床がくすんでくると、心までも荒んでいくような気がする。イライラが増えたり、ミスが重なったり、どこかそわそわと落ち着かない。けれど、部屋を整え、断捨離をし、拭き、清め、すっきりと片付いた空間に身を置くと、心は静かに落ち着き、本当の意味でのゆとりが生まれてくる。部屋を整えると、心の中のモヤモヤまでも、少しずつ整理されていくような気がする。まだ拭き掃除に取りかかったばかりで、完全にすっきりしたとは言えないけれど、こうして休暇の時間を使いながら、少しずつ持ち物を見直し、断捨離を進めていきたい。桜が咲く頃までには、自分の住環境を、もう一度きちんと整えたいと思う。住まいを見直し、整え、磨いていくことは、きっと、自分の内面を整えることにも繋がっている。ものにあふれた空間では、心は整わない。これから冬が終わり、春へと向かう。季節とともに、少しずつ自分も外へと開いていく。その前に、きちんと整えておきたい。住まいも、思考も、そして自分自身も。新しいことに挑戦し、自分と向き合う時間を、これからも大切にしていきたい。※2026年3月19日note記事より]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-04-12T12:03:48+00:00</published><updated>2026-04-12T12:03:48+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>久しぶりに、拭き掃除をした。</p><p><br></p><p>去年の11月頃から、私が住むマンションでは、</p><p>壁や共有部分の床、ベランダの補修工事が続いていた。</p><p>足場が組まれ、作業員の方たちが出入りし、</p><p>建物全体は布で覆われ、窓も開けられない状態。</p><p>ベランダにあった植物も室内へ移動せざるを得ず、</p><p>湿気や落ち葉がたまり、換気もできないまま、空気はどこか淀んでいた。</p><p><br></p><p>そこに加えて、コンペの準備に追われる日々。</p><p>掃除や断捨離に手をつける余裕もないまま、年を越した。</p><p>そして先日やっとエストニア遠征を終え、</p><p>帰国してからも落ち着く間はなく、</p><p>家でゆっくり過ごす時間すら取れない日々が続いていたが、</p><p>ようやく工事も終わり、</p><p>私自身も朝練以外に何も予定のない日が昨日今日と続いた。</p><p><br></p><p>重い腰を上げ、掃除に取りかかる。</p><p>窓を開け、空気を思い切り入れ替える。</p><p>そして、床を水拭きする。</p><p><br></p><p>たったそれだけのことなのに、</p><p>部屋の空気は一変する。</p><p><br></p><p>どんよりと淀んでいたものが、</p><p>霧が晴れるようにすっと取り除かれていく。</p><p><br></p><p>磨かれた床は、神々しいほどに輝き、</p><p>家全体が喜んでいるような、</p><p>不思議なエネルギーに満ちあふれる。</p><p><br></p><p>最初は、リビングのほんの小さなスペースから始める。</p><p>そこから少しずつ、</p><p>窓枠に溜まった埃、</p><p>カーペットの下、</p><p>廊下、</p><p>お手洗い、</p><p>脱衣所、</p><p>浴室、</p><p>玄関、</p><p>キッチンへと、拭き掃除の範囲を広げていく。</p><p><br></p><p>一度にすべてをやろうとすると、すぐに疲れてしまうから。</p><p>小さなエリアを拭いては休み、</p><p>読書をし、お茶を飲み、チョコをつまみ、また立ち上がる。</p><p>そんなふうに、無理のないリズムで過ごしたこの2日間。</p><p><br></p><p>気がつけば、読書も拭き掃除も、驚くほどはかどっていた。</p><p>部屋が散らかり、床がくすんでくると、</p><p>心までも荒んでいくような気がする。</p><p><br></p><p>イライラが増えたり、ミスが重なったり、</p><p>どこかそわそわと落ち着かない。</p><p><br></p><p>けれど、部屋を整え、断捨離をし、</p><p>拭き、清め、すっきりと片付いた空間に身を置くと、</p><p>心は静かに落ち着き、</p><p>本当の意味でのゆとりが生まれてくる。</p><p><br></p><p>部屋を整えると、</p><p>心の中のモヤモヤまでも、</p><p>少しずつ整理されていくような気がする。</p><p><br></p><p>まだ拭き掃除に取りかかったばかりで、</p><p>完全にすっきりしたとは言えないけれど、</p><p>こうして休暇の時間を使いながら、</p><p>少しずつ持ち物を見直し、断捨離を進めていきたい。</p><p>桜が咲く頃までには、</p><p>自分の住環境を、</p><p>もう一度きちんと整えたいと思う。</p><p><br></p><p>住まいを見直し、整え、磨いていくことは、</p><p>きっと、自分の内面を整えることにも繋がっている。</p><p><br></p><p>ものにあふれた空間では、</p><p>心は整わない。</p><p><br></p><p>これから冬が終わり、春へと向かう。</p><p>季節とともに、少しずつ自分も外へと開いていく。</p><p><br></p><p>その前に、きちんと整えておきたい。</p><p>住まいも、思考も、そして自分自身も。</p><p><br></p><p>新しいことに挑戦し、</p><p>自分と向き合う時間を、これからも大切にしていきたい。</p><p><br></p><p>※2026年3月19日note記事より</p><p><br></p><p><br></p>
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			<p>本気で何かに挑戦すると、自分の未熟さや基礎の脆さ、踊りの拙さ、</p><p>もともとのポテンシャルの低さまで、</p><p>いろいろな欠点がいっぺんに見えてくる。</p><p>すると、つい何もかも嫌になったり、</p><p>できない自分を責めたりしてしまうことがある。</p><p><br></p><p>実際、私はついさっきまでそうだった。</p><p><br></p><p>エストニアでのチャレンジ。</p><p>才能豊かな若いダンサーたちと同じステージに立つことの無謀さ。</p><p>そもそも競う段階ですらない自分が、</p><p>ここで踊らなければならないことの苦しさ。</p><p>場違いなのではないかという、少し申し訳ないような気持ち。</p><p><br></p><p>練習を重ねても、</p><p>自分の思い描く姿とは大きくかけ離れた、無様な自分。</p><p>そんなものと、この半年余り、ずっと向き合ってきた。</p><p><br></p><p>だけど今朝、朝練に向かう車の中で、</p><p>ほんの一瞬、光が差すように、</p><p>ふんわりと感謝の気持ちが湧き上がってきた。</p><p><br></p><p>今こうして朝練に向かおうとしていること。</p><p><br></p><p>何の不自由もなく、</p><p>自分のやりたいことができて、</p><p>動きたい時に動けて、練習ができる。</p><p><br></p><p>そのこと自体への、身体への感謝だった。</p><p><br></p><p>つい忘れてしまう。</p><p>こうして身体が自由に動くこと、</p><p>やりたいことがやれることは、決して当たり前ではないのだと。</p><p><br></p><p>怪我をすることもある。</p><p>病気になることもある。</p><p>あるいは年齢を重ねて、</p><p>思うように身体が動かなくなる日もくる。</p><p><br></p><p>そういうことは常に起こりうるし、</p><p>いつか必ず自分の身にも降りかかる。</p><p><br></p><p>それなのに今、私はこうして朝練に向かう車の中で、</p><p>今日の練習のことを考えている。</p><p><br></p><p>たとえ思うように上達できなくても、</p><p>たとえ不甲斐ない自分がいても、</p><p>練習ができること自体が、もう幸せなのかもしれない。</p><p><br></p><p>踊りの場へ戻れること。</p><p>練習する場所へ向かえること。</p><p><br></p><p>それだけで、</p><p>私にとっては大きな喜びなのかもしれない。</p><p><br></p><p>身体が自由に動くこと。</p><p>それは、私が私でいられるための、</p><p>かけがえのない土台なのだ。</p><p><br></p><p>私はもう、決して若いとは言えない。</p><p>一生のうちで踊ることができる時間には、</p><p>思っている以上に限りがあるのだと思う。</p><p><br></p><p>そんな中で、怪我も病気もなく、</p><p>こうして毎日朝練に向かい、大好きな先生から踊りを学べている。</p><p>その先生は、世界でもトップクラスのスターダンサーだ。</p><p><br></p><p>定期的に出演できる舞台があり、</p><p>期限の中で課題に向き合い、</p><p>その成果をステージで確かめることができる。</p><p><br></p><p>そして、私の踊りを好きだと言ってくださる生徒さんやお客様がいて、</p><p>いつも見守り、応援してくださる方々がいる。</p><p><br></p><p>こんなにも恵まれた環境にいながら、</p><p>できないことばかりに目を向けて、落ち込んでばかりいるわけにはいかない。</p><p><br></p><p>私は、もう十分に幸せなのだ。</p><p><br></p><p>こうして練習ができる健康な身体があること。</p><p>踊れる場所があること。</p><p>支えてくださる大切な人たちがいること。</p><p>これ以上ないほどに、満たされているのだと、</p><p>今しみじみ思う。</p><p><br></p><p>さあ、今日も朝練からスタート。</p><p>幸せすぎる一日の始まりだ。</p><p><br></p><p>※2026年3月18日note記事より</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[日記〜書き続けるという事]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58730393/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/3e25451a1fd4a9981a6ff70f391e7494_8209d30db43489627fb4957574100b19.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58730393</id><summary><![CDATA[私は昔から日記文学が大好きだ。これまで読んできたものを主なものだけ挙げてみると、『紫式部日記』、『枕草子』、『徒然草』、『奥の細道』。現代のものでは、写真家の荒木経惟さんの日記、同じく写真家の川内倫子さんの『りんこ日記』、小説家・くどうれいんさんの『日記の練習』、昭和天皇の侍従・入江相政さんの『入江相政日記』、壇蜜さんの『壇蜜日記』、山崎佳代子さんの『ベオグラード日誌』、梨木香歩さんの『エストニア紀行』。こうして並べてみると、時代も書き手もさまざまだが、定期的に誰かの日記文学を読むことは、私にとって読書の楽しみのひとつになっている。そんなわけで、子どもの頃からよく日記をつけていた。だが、つい途中で書くのを忘れてしまったり、日記帳に書いた自分の文字が気に入らなくなってやめてしまったり、忙しさに紛れてサボってしまったりして、長く続いたことはほとんどなかった。それでも心の奥底にはいつも、日記を書き続けることへの憧れがあった。ノートを自分の日々の記録で埋めていくこと。それをいつか実現したいと、ずっと思っていた。2026年は、元旦から日記をつけようと誓いを立てた。あらかじめ買っておいた分厚いノート。そこに毎日きちんと日記を書いていこう。そう思い、コツコツと書き続けてきた。だが、その流れは先日のエストニア遠征でぴたりと止まってしまった。遠征の前日まではきちんと書いていたのだが、いざ出発してみると、飛行機での長時間移動、エストニアでのダンス三昧、くたくたになってホテルに戻ってはまたレッスンへ向かう…。そんな日々の繰り返しで、日記を書く余裕がまったくなかったのだ。あらかじめ日記帳から数枚の紙を切り取り、持参していたのだが、その紙に日記を書くことはないまま帰国してしまった。帰国してからも休む間もなく、時間に追い立てられるような慌ただしい日々が続き、気がつけば日記を書くという習慣そのものが、自分の生活からすっかり抜け落ちてしまっていた。帰国して10日ほど過ぎた頃、ようやく私は重い腰を上げた。2週間以上書いていない日記を、遡って書き直してみようと思ったのだ。たとえオンタイムでなくても、思い出せる限り記録すればいいのではないか。そう思った。そんなわけでここ3日ほど、書き損ねていた2週間以上の出来事を少しずつ思い出しながら日記帳に綴っている。本来、日記というものは、その日にあったことを新鮮なうちに書き留めるための装置だ。そのことは十分にわかっている。だが、過去に遡り、思い出しながら書くという作業もやってみると意外に悪くない。その日その日の簡単なメモは手帳に残している。その記録を手がかりに時間を遡り、心に残った景色や覚えておきたいことを、少しずつ書き綴っていく。そうしてページを埋めていく作業は、やってみると意外に楽しい。その日のうちに書く、ライブ感のある日記とはまた違った良さがあることを、今回あらためて発見した。毎日必ず書き続けるというのは、思っている以上にむずかしい。日々の仕事や生活のリズムのなかで、どうしても書けない日もあるだろうし、後回しにせざるを得ない時もきっと出てくる。そんな時でも諦めず、時間があるときに思い出せる限り思い出して、とりあえず一日一行でもいいから書き続ける。それが継続のコツなのではないかと、今回あらためて思った。そういえば、以前読んだ川内倫子さんの『りんこ日記』では、一日の記録が「プリント」という一語だけの日がたびたびあった。写真家である彼女にとって、プリント作業はとても大切なものなのだろう。その日は、プリントにすべての時間と集中を注いでいたのかもしれない。そう考えると、これを私に置き換えれば「朝練」。たったその一言だけでも、日記は十分に成り立つのだ。長いインターバルがあっても書き続けてみて気づいたのだが、日記というのは、その日にあった出来事をすべて書き綴ることではないのかもしれない。その日に感じた、たった一つの感情でもいい。たった一つの出来事でもいい。空がきれいだった。寒かった。眠かった。何もしなかった。そんなことだけでも、日記は充分に成り立つ。書きたいときにはたくさん書けばいいし、書きたくないときには天気と気温だけでもいい。書き続けることこそが、日記の本質なのだと思う。くどうれいんさんの『日記の練習』にも、こんな言葉が書かれていた。「面白いから書くのではない。書いているから、どんどん面白いことが増える。」本当にその通りだと思う。書かなくてもいい日もあるし、どうしても長く書けない日もある。それでも、そんな断片のような文章でさえ、あとから読み返すと心に残る。自分の日々の記録は、たった1行でもいいし、何ページにわたってもいい。書きたいように書けばいいのだ。文章でなくてもいい。落書きだけでもいいし、1枚だけ写真を添えるのもいいかもしれない。川内倫子さんの『りんこ日記』には、一日ごとの日記に、携帯で撮った写真が一枚添えられていた。そういう表現方法もとても素敵だと思い、私もやってみたいと憧れたことを思い出す。私も、自分なりの日記の形を見つけながら、これからも書き続けていきたいと思う。※2025年3月18日　note記事より]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-04-10T11:24:32+00:00</published><updated>2026-04-10T11:24:32+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>私は昔から日記文学が大好きだ。</p><p><br></p><p>これまで読んできたものを主なものだけ挙げてみると、</p><p>『紫式部日記』、『枕草子』、『徒然草』、『奥の細道』。</p><p>現代のものでは、</p><p>写真家の荒木経惟さんの日記、同じく写真家の川内倫子さんの『りんこ日記』、</p><p>小説家・くどうれいんさんの『日記の練習』、</p><p>昭和天皇の侍従・入江相政さんの『入江相政日記』、</p><p>壇蜜さんの『壇蜜日記』、</p><p>山崎佳代子さんの『ベオグラード日誌』、</p><p>梨木香歩さんの『エストニア紀行』。</p><p><br></p><p>こうして並べてみると、時代も書き手もさまざまだが、定期的に誰かの日記文学を読むことは、私にとって読書の楽しみのひとつになっている。</p><p><br></p><p>そんなわけで、子どもの頃からよく日記をつけていた。</p><p>だが、つい途中で書くのを忘れてしまったり、日記帳に書いた自分の文字が気に入らなくなってやめてしまったり、忙しさに紛れてサボってしまったりして、</p><p>長く続いたことはほとんどなかった。</p><p>それでも心の奥底にはいつも、日記を書き続けることへの憧れがあった。</p><p>ノートを自分の日々の記録で埋めていくこと。</p><p>それをいつか実現したいと、ずっと思っていた。</p><p><br></p><p>2026年は、元旦から日記をつけようと誓いを立てた。</p><p>あらかじめ買っておいた分厚いノート。そこに毎日きちんと日記を書いていこう。</p><p>そう思い、コツコツと書き続けてきた。</p><p>だが、その流れは先日のエストニア遠征でぴたりと止まってしまった。</p><p><br></p><p>遠征の前日まではきちんと書いていたのだが、いざ出発してみると、</p><p>飛行機での長時間移動、エストニアでのダンス三昧、</p><p>くたくたになってホテルに戻ってはまたレッスンへ向かう…。</p><p>そんな日々の繰り返しで、日記を書く余裕がまったくなかったのだ。</p><p><br></p><p>あらかじめ日記帳から数枚の紙を切り取り、持参していたのだが、</p><p>その紙に日記を書くことはないまま帰国してしまった。</p><p><br></p><p>帰国してからも休む間もなく、</p><p>時間に追い立てられるような慌ただしい日々が続き、</p><p>気がつけば日記を書くという習慣そのものが、</p><p>自分の生活からすっかり抜け落ちてしまっていた。</p><p><br></p><p>帰国して10日ほど過ぎた頃、ようやく私は重い腰を上げた。</p><p>2週間以上書いていない日記を、遡って書き直してみようと思ったのだ。</p><p>たとえオンタイムでなくても、思い出せる限り記録すればいいのではないか。</p><p>そう思った。</p><p><br></p><p>そんなわけでここ3日ほど、</p><p>書き損ねていた2週間以上の出来事を少しずつ思い出しながら日記帳に綴っている。</p><p><br></p><p>本来、日記というものは、</p><p>その日にあったことを新鮮なうちに書き留めるための装置だ。</p><p>そのことは十分にわかっている。</p><p><br></p><p>だが、過去に遡り、思い出しながら書くという作業もやってみると意外に悪くない。</p><p>その日その日の簡単なメモは手帳に残している。その記録を手がかりに時間を遡り、心に残った景色や覚えておきたいことを、少しずつ書き綴っていく。</p><p>そうしてページを埋めていく作業は、やってみると意外に楽しい。</p><p><br></p><p>その日のうちに書く、ライブ感のある日記とはまた違った良さがあることを、</p><p>今回あらためて発見した。</p><p><br></p><p>毎日必ず書き続けるというのは、思っている以上にむずかしい。</p><p>日々の仕事や生活のリズムのなかで、どうしても書けない日もあるだろうし、</p><p>後回しにせざるを得ない時もきっと出てくる。</p><p><br></p><p>そんな時でも諦めず、時間があるときに思い出せる限り思い出して、</p><p>とりあえず一日一行でもいいから書き続ける。</p><p>それが継続のコツなのではないかと、今回あらためて思った。</p><p><br></p><p>そういえば、</p><p>以前読んだ川内倫子さんの『りんこ日記』では、</p><p>一日の記録が「プリント」という一語だけの日がたびたびあった。</p><p>写真家である彼女にとって、プリント作業はとても大切なものなのだろう。</p><p>その日は、プリントにすべての時間と集中を注いでいたのかもしれない。</p><p>そう考えると、これを私に置き換えれば「朝練」。</p><p>たったその一言だけでも、日記は十分に成り立つのだ。</p><p><br></p><p>長いインターバルがあっても書き続けてみて気づいたのだが、</p><p>日記というのは、その日にあった出来事をすべて書き綴ることではないのかもしれない。</p><p><br></p><p>その日に感じた、たった一つの感情でもいい。</p><p>たった一つの出来事でもいい。</p><p>空がきれいだった。</p><p>寒かった。</p><p>眠かった。</p><p>何もしなかった。</p><p>そんなことだけでも、日記は充分に成り立つ。</p><p><br></p><p>書きたいときにはたくさん書けばいいし、</p><p>書きたくないときには天気と気温だけでもいい。</p><p>書き続けることこそが、日記の本質なのだと思う。</p><p><br></p><p>くどうれいんさんの『日記の練習』にも、こんな言葉が書かれていた。</p><p>「面白いから書くのではない。</p><p>書いているから、どんどん面白いことが増える。」</p><p>本当にその通りだと思う。</p><p><br></p><p>書かなくてもいい日もあるし、どうしても長く書けない日もある。</p><p>それでも、そんな断片のような文章でさえ、あとから読み返すと心に残る。</p><p><br></p><p>自分の日々の記録は、たった1行でもいいし、何ページにわたってもいい。</p><p>書きたいように書けばいいのだ。</p><p><br></p><p>文章でなくてもいい。</p><p>落書きだけでもいいし、1枚だけ写真を添えるのもいいかもしれない。</p><p>川内倫子さんの『りんこ日記』には、</p><p>一日ごとの日記に、携帯で撮った写真が一枚添えられていた。</p><p>そういう表現方法もとても素敵だと思い、</p><p>私もやってみたいと憧れたことを思い出す。</p><p><br></p><p>私も、自分なりの日記の形を見つけながら、これからも書き続けていきたいと思う。</p><p><br></p><p>※2025年3月18日　note記事より</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[海外ダンス遠征中の生活]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58723332/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/659d9a6803f1396d77cb9f9d773e7849_51026b58609e11db1add17d58cc06b2f.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58723332</id><summary><![CDATA[海外にダンスを習いに行くとき。あるいはコンペティションで海外に赴くとき。私の生活は、いたってシンプルだ。基本的には、日本にいるときとほとんど変わらない。生活の中心は、やはりダンスだ。観光をする場合もあるが、基本的には練習の合間や早朝に、徒歩かバス、電車を使って少し街を歩く程度。いわゆる「観光メインの旅」ではない。そして、私の海外遠征での生活には、ひとつ特徴がある。無理に時差に合わせないこと。もちろん、レッスンやコンペティションの時間はコントロールできない。その時間には、きちんと身体を合わせる。だが、それ以外の自由な時間については、あえて現地の時間に合わせようとはしない。眠いときには寝る。食べたいときには食べる。たとえ深夜であっても、お腹が空けば食べるし、昼間であっても眠ければ寝る。無理に現地の生活リズムに自分を押し込めようとはしていない。食事も、とてもシンプルだ。野菜、果物、ヨーグルト、パン、チーズ。だいたいそんな感じ。私はもともと、こういう食べ物がとても好きなので、このような素食で困ることはまったくない。むしろ喜んで食べている。ロシア、イギリス、エストニア。どの国でもチーズやヨーグルトはとても美味しかった。そして何より、ロシアやエストニアには黒パンがある。私は、少し酸味があり、どっしりと重たい黒パンが大好きだ。スーパーで黒パンを見つけると、つい嬉しくなって買ってしまう。現地の人にしてみれば、きっと何ということのない普通のパンなのだろう。だが私にとっては、滅多に食べることのできないごちそうだ。そんなわけで、現地のスーパーで手に入るシンプルな食事は、私にとっては立派なパワーフードになる。そして、日本から必ず持っていくものがある。カップ麺を2〜3個。紅茶やルイボスティーなど、お湯を注ぐだけで飲めるもの。そして、ちょっとつまめるお菓子。日本と違って、そこら中にコンビニや自動販売機があるわけではないので、こういうちょっとした食べ物や飲み物があるととても便利だ。わざわざ遠くのスーパーに買いに行かなくてもいいし、疲れてどこにも行きたくない時もある。基本、インテンシブを受けに行くときは、1日6時間ほどスタジオにこもってダンスのトレーニングをする。そのため、帰宅するころには疲れ果てて、もうどこにも行きたくない気持ちになってしまう。そんな時、部屋にカップ麺があると飢えをしのげるし、温かいものを食べることで少し心が緩むのだ。今回のエストニア遠征では、時差は日本からマイナス7時間。コンペティションの出演時間は、日本時間で言うと夜中の1時頃だった。帰宅する頃は現地時間では夜8時頃なのだが、体の感覚としては日本時間の未明。長時間フライト、時差、緊張、寝不足。当然、疲れ果てて身体は限界を超えている。その日はお風呂にも入らず、ベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。エストニア滞在中の生活は、だいたいこんな感じだった。朝9時前にバスでスタジオへ向かう。6時間のインテンシブを受け、夕方7時過ぎに帰ってくる。夜ご飯を食べて8時には寝落ちしてしまい、夜中の2時頃に目を覚ます。そこからシャワーを浴び、髪を乾かし、ゆっくり朝ごはんを食べたり、日本のYouTubeを見たりして、またレッスンに出かける。そんな生活だった。遠征中は、おしゃれもしない。ショーやパーティーで特別なドレスコードがある場合はワンピースとパンプスを持ち込むが、基本そのような指定がない場合は、私は動きやすく楽な格好で移動する。例えばUNIQLOの暖パンやジャージ、フリース、ウルトラライトダウン、ヒートテックのインナー、Tシャツ。そしてカバンはいつも使っているバックパック。足元はスニーカーやペタンコのブーツ。おしゃれのために荷物を増やしたくないという気持ちもあるし、常に動きやすい格好で楽に移動したいという気持ちもある。現地ではほとんど徒歩移動やバス移動なので、おしゃれをする余裕もないというのも本音だ。現地の街歩きをするのは大好きだし、写真や動画を撮るのも楽しい。だが、私には物欲がない。特に欲しいものがないのだ。美味しい現地の食べ物を食べることはあるが、何かを買うということはほとんどない。だが、やはりお世話になった方々へのお土産のことは常に頭にある。イギリスの時は、そこら中にある土産物屋でロンドンのキーホルダーや紅茶、その他いろいろ雑貨を買って、皆さんにお渡しすることができた。しかし今回エストニアについては、何も買えなかった。というのは、インテンシブを6時間受けた後、この冬の時期はお店がほとんど開いていなかったし、ホテルの近くにもそのようなものを買える店は一つもなかったからだ。一番近いスーパーで徒歩20分ほど。しかもスーパーといっても、お土産物というのはほとんど置いてなく、あっても携帯のネックストラップや国旗、ハンドタオル、あとは現地の子供たちが食べるであろうお菓子くらいだった。エストニア初日、食べるものを買いに凍った道路を恐る恐るスーパーまで歩いて行った。あの日、保険のつもりで買った何袋ものキャンディが、結果的に私を救ってくれた。インテンシブの合間に街歩きをした際は、大抵夜か早朝だった。夜はもちろん店が閉まっているし、早朝もまだほとんどの店は開いていない。結局、土産物店が開いている時間に街へ行くことは一度もできなかった。それなら空港で買おうと思っていたのだが、現地の飛行機の遅延や、乗り継ぎでのパスポートコントロールの大渋滞などで、私は常に時間に追われ、空港内を走り回っていた。そんなわけで、何一つお土産が買えなかったのだ。初日に買ったキャンディが、なんとか皆さんにお渡しできる唯一のものだった。だが家族には何もなく、私は仕方なく関西国際空港で伊勢の赤福をひとつ買って家族に手渡した。エストニア旅行の土産が、家族には伊勢の赤福だったのだ。これもまた、今回の遠征らしい出来事だった。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-04-08T04:54:48+00:00</published><updated>2026-04-08T04:55:17+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>海外にダンスを習いに行くとき。</p><p>あるいはコンペティションで海外に赴くとき。</p><p>私の生活は、いたってシンプルだ。</p><p><br></p><p>基本的には、日本にいるときとほとんど変わらない。</p><p>生活の中心は、やはりダンスだ。</p><p>観光をする場合もあるが、基本的には練習の合間や早朝に、徒歩かバス、電車を使って少し街を歩く程度。</p><p>いわゆる「観光メインの旅」ではない。</p><p><br></p><p>そして、私の海外遠征での生活には、ひとつ特徴がある。</p><p>無理に時差に合わせないこと。</p><p><br></p><p>もちろん、レッスンやコンペティションの時間はコントロールできない。</p><p>その時間には、きちんと身体を合わせる。</p><p>だが、それ以外の自由な時間については、あえて現地の時間に合わせようとはしない。</p><p>眠いときには寝る。</p><p>食べたいときには食べる。</p><p>たとえ深夜であっても、お腹が空けば食べるし、昼間であっても眠ければ寝る。</p><p>無理に現地の生活リズムに自分を押し込めようとはしていない。</p><p><br></p><p>食事も、とてもシンプルだ。</p><p>野菜、果物、ヨーグルト、パン、チーズ。</p><p>だいたいそんな感じ。</p><p>私はもともと、こういう食べ物がとても好きなので、</p><p>このような素食で困ることはまったくない。</p><p>むしろ喜んで食べている。<br></p><p><br></p><p>ロシア、イギリス、エストニア。</p><p>どの国でもチーズやヨーグルトはとても美味しかった。</p><p>そして何より、ロシアやエストニアには黒パンがある。</p><p>私は、少し酸味があり、どっしりと重たい黒パンが大好きだ。</p><p>スーパーで黒パンを見つけると、つい嬉しくなって買ってしまう。</p><p>現地の人にしてみれば、きっと何ということのない普通のパンなのだろう。</p><p>だが私にとっては、滅多に食べることのできないごちそうだ。</p><p>そんなわけで、現地のスーパーで手に入るシンプルな食事は、</p><p>私にとっては立派なパワーフードになる。</p><p><br></p><p>そして、日本から必ず持っていくものがある。</p><p>カップ麺を2〜3個。</p><p>紅茶やルイボスティーなど、お湯を注ぐだけで飲めるもの。</p><p>そして、ちょっとつまめるお菓子。</p><p><br></p><p>日本と違って、そこら中にコンビニや自動販売機があるわけではないので、</p><p>こういうちょっとした食べ物や飲み物があるととても便利だ。</p><p>わざわざ遠くのスーパーに買いに行かなくてもいいし、</p><p>疲れてどこにも行きたくない時もある。</p><p><br></p><p>基本、インテンシブを受けに行くときは、</p><p>1日6時間ほどスタジオにこもってダンスのトレーニングをする。</p><p>そのため、帰宅するころには疲れ果てて、</p><p>もうどこにも行きたくない気持ちになってしまう。</p><p><br></p><p>そんな時、部屋にカップ麺があると飢えをしのげるし、</p><p>温かいものを食べることで少し心が緩むのだ。</p><p><br></p><p>今回のエストニア遠征では、時差は日本からマイナス7時間。</p><p>コンペティションの出演時間は、日本時間で言うと夜中の1時頃だった。</p><p>帰宅する頃は現地時間では夜8時頃なのだが、体の感覚としては日本時間の未明。</p><p><br></p><p>長時間フライト、時差、緊張、寝不足。</p><p>当然、疲れ果てて身体は限界を超えている。</p><p>その日はお風呂にも入らず、ベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。</p><p>エストニア滞在中の生活は、だいたいこんな感じだった。</p><p><br></p><p>朝9時前にバスでスタジオへ向かう。</p><p>6時間のインテンシブを受け、夕方7時過ぎに帰ってくる。</p><p>夜ご飯を食べて8時には寝落ちしてしまい、夜中の2時頃に目を覚ます。</p><p>そこからシャワーを浴び、髪を乾かし、</p><p>ゆっくり朝ごはんを食べたり、日本のYouTubeを見たりして、</p><p>またレッスンに出かける。</p><p>そんな生活だった。</p><p><br></p><p>遠征中は、おしゃれもしない。</p><p>ショーやパーティーで特別なドレスコードがある場合はワンピースとパンプスを持ち込むが、基本そのような指定がない場合は、私は動きやすく楽な格好で移動する。</p><p>例えばUNIQLOの暖パンやジャージ、フリース、</p><p>ウルトラライトダウン、ヒートテックのインナー、Tシャツ。</p><p>そしてカバンはいつも使っているバックパック。</p><p>足元はスニーカーやペタンコのブーツ。</p><p><br></p><p>おしゃれのために荷物を増やしたくないという気持ちもあるし、</p><p>常に動きやすい格好で楽に移動したいという気持ちもある。</p><p>現地ではほとんど徒歩移動やバス移動なので、</p><p>おしゃれをする余裕もないというのも本音だ。</p><p>現地の街歩きをするのは大好きだし、写真や動画を撮るのも楽しい。</p><p><br></p><p>だが、私には物欲がない。</p><p>特に欲しいものがないのだ。</p><p><br></p><p>美味しい現地の食べ物を食べることはあるが、何かを買うということはほとんどない。</p><p>だが、やはりお世話になった方々へのお土産のことは常に頭にある。</p><p><br></p><p>イギリスの時は、そこら中にある土産物屋でロンドンのキーホルダーや紅茶、</p><p>その他いろいろ雑貨を買って、皆さんにお渡しすることができた。</p><p>しかし今回エストニアについては、何も買えなかった。</p><p><br></p><p>というのは、インテンシブを6時間受けた後、</p><p>この冬の時期はお店がほとんど開いていなかったし、</p><p>ホテルの近くにもそのようなものを買える店は一つもなかったからだ。</p><p><br></p><p>一番近いスーパーで徒歩20分ほど。</p><p>しかもスーパーといっても、お土産物というのはほとんど置いてなく、</p><p>あっても携帯のネックストラップや国旗、ハンドタオル、</p><p>あとは現地の子供たちが食べるであろうお菓子くらいだった。</p><p><br></p><p>エストニア初日、食べるものを買いに凍った道路を恐る恐るスーパーまで歩いて行った。</p><p>あの日、保険のつもりで買った何袋ものキャンディが、結果的に私を救ってくれた。</p><p>インテンシブの合間に街歩きをした際は、大抵夜か早朝だった。</p><p>夜はもちろん店が閉まっているし、早朝もまだほとんどの店は開いていない。</p><p>結局、土産物店が開いている時間に街へ行くことは一度もできなかった。</p><p>それなら空港で買おうと思っていたのだが、</p><p>現地の飛行機の遅延や、乗り継ぎでのパスポートコントロールの大渋滞などで、</p><p>私は常に時間に追われ、空港内を走り回っていた。</p><p>そんなわけで、何一つお土産が買えなかったのだ。</p><p><br></p><p>初日に買ったキャンディが、なんとか皆さんにお渡しできる唯一のものだった。</p><p>だが家族には何もなく、私は仕方なく</p><p>関西国際空港で伊勢の赤福をひとつ買って家族に手渡した。</p><p><br></p><p>エストニア旅行の土産が、家族には伊勢の赤福だったのだ。</p><p>これもまた、今回の遠征らしい出来事だった。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[脆弱な藁の家を手放した日]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58705010/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/01f72778d50a4076d7655d1193c290ae_1e2e67c9bd958c5737239f3d81ec3057.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58705010</id><summary><![CDATA[エストニアから帰国して10日。私は帰国の翌日から、また朝練を続けている。コンペ前から、自分の土台を見直す練習を始めていたこと。未完のままの踊りを抱えてエストニアに挑んだこと。コンペで目の当たりにした、ダンサーたちのあまりにもハイレベルな踊りと表現力。そして最終日に受けた個人レッスンで、新たな発見とともに自分の基礎の脆さを思い知らされたこと。この1か月にも満たない短い期間に、さまざまな経験と想いが一気に押し寄せてきて、私の土台を大きく揺さぶった。そして今朝。帰国して練習を再開してから初めて、確かな手応えと変化を感じることができた。今、私が取り組んでいるのは、自分の土台を壊すことだ。修正してもらった基礎を身体に染み込ませること。自分の踊りを一から見直し、再構築すること。それは、自信を失い、痛みを伴い、先の見えない真っ暗なトンネルに放り込まれたような、不安な作業でもある。だけど今朝、私は気づいた。これまで私が守ろうとしていた「自分の踊り方」や「これまでの基礎」は、実はとても脆い、藁の家のようなものだったのだと。朝練を終えてスタジオを出たとき、ふと『三匹の子豚』のおとぎ話を思い出した。藁の家にしがみついている子豚。それは、まるでこれまでの私そのものだった。自分の踊り方という脆く危ういものにしがみつきながら、「できない」を繰り返していた私。本当は、それを手放して、揺らがない土台の上にレンガの家を築かなければいけなかった。それなのに私は、変化を恐れて、壊れやすい藁の家に住み続けていたのだと思う。だけど今朝、気づいた。私はもう、コンペ前のあの時点で、藁の家を手放すと決めていたのだ。手探りのまま、どうすれば再構築できるのか。必死にトライアンドエラーを繰り返してきた。エストニアで見たもの。感じたこと。体験したこと。それらを自分の糧として、日々の練習に少しずつ落とし込め始めている。今朝感じた変化は、人から見れば取るに足らないものかもしれない。だが私にしてみれば、物理法則が入れ替わったくらい、大きな変化の一歩だった。ほんの微細な変化かもしれない。けれど体の芯から、奥底から、以前とは違う感覚がじんわりと染み出してくる。今朝、私は実感した。自分を変えようと決心し、その一歩を確かに踏み出したのだと。これから先、本当に変われるかもしれないし、変わらないかもしれない。それはまだわからない。けれど、変わろうと決めたという事実だけは、確かに私の中に刻まれた。そしてその決意は、きっと何かしらの変化を生むのだと思う。この3年、私は他人と競うことをせず、ただ自分の内面だけを見つめながら、コツコツと練習を重ねてきた。一人で続けてきた分、思い込みや間違いも、きっとたくさんあったと思う。今は、その思い込みや間違いを一つひとつ拾い上げ、新しい形へと修正していく時間なのだ。これまで重ねてきた時間は、遠回りだったのかもしれない。それでも、決して無駄ではなかったと思いたい。日々、小さな変化を感じながら過ごしてきたこの年月の中で、私は、身体の限界が来るその日まで、踊りと自分に真摯に向き合うことをやめないと誓った。そして今、その誓いが、次のフェーズへ入ったのだと感じている。2026年3月14日。ほんの小さな変化の日。けれど、私にとっては大きな一歩の、記念すべき一日だった。※note記事　2026年3月14日分より]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-04-01T22:07:07+00:00</published><updated>2026-04-01T22:07:47+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>エストニアから帰国して10日。</p><p>私は帰国の翌日から、また朝練を続けている。</p><p><br></p><p>コンペ前から、自分の土台を見直す練習を始めていたこと。</p><p>未完のままの踊りを抱えてエストニアに挑んだこと。</p><p>コンペで目の当たりにした、ダンサーたちのあまりにもハイレベルな踊りと表現力。</p><p>そして最終日に受けた個人レッスンで、新たな発見とともに自分の基礎の脆さを思い知らされたこと。</p><p><br></p><p>この1か月にも満たない短い期間に、さまざまな経験と想いが一気に押し寄せてきて、私の土台を大きく揺さぶった。</p><p><br></p><p>そして今朝。</p><p><br></p><p>帰国して練習を再開してから初めて、確かな手応えと変化を感じることができた。</p><p>今、私が取り組んでいるのは、自分の土台を壊すことだ。</p><p>修正してもらった基礎を身体に染み込ませること。</p><p>自分の踊りを一から見直し、再構築すること。</p><p><br></p><p>それは、自信を失い、痛みを伴い、先の見えない真っ暗なトンネルに放り込まれたような、不安な作業でもある。</p><p><br></p><p>だけど今朝、私は気づいた。</p><p><br></p><p>これまで私が守ろうとしていた「自分の踊り方」や「これまでの基礎」は、実はとても脆い、藁の家のようなものだったのだと。</p><p><br></p><p>朝練を終えてスタジオを出たとき、ふと『三匹の子豚』のおとぎ話を思い出した。</p><p>藁の家にしがみついている子豚。</p><p>それは、まるでこれまでの私そのものだった。</p><p>自分の踊り方という脆く危ういものにしがみつきながら、</p><p>「できない」を繰り返していた私。</p><p>本当は、それを手放して、揺らがない土台の上にレンガの家を築かなければいけなかった。</p><p>それなのに私は、変化を恐れて、壊れやすい藁の家に住み続けていたのだと思う。</p><p><br></p><p>だけど今朝、気づいた。</p><p>私はもう、コンペ前のあの時点で、藁の家を手放すと決めていたのだ。</p><p><br></p><p>手探りのまま、どうすれば再構築できるのか。</p><p>必死にトライアンドエラーを繰り返してきた。</p><p><br></p><p>エストニアで見たもの。</p><p>感じたこと。</p><p>体験したこと。</p><p><br></p><p>それらを自分の糧として、日々の練習に少しずつ落とし込め始めている。</p><p>今朝感じた変化は、人から見れば取るに足らないものかもしれない。</p><p>だが私にしてみれば、物理法則が入れ替わったくらい、大きな変化の一歩だった。</p><p>ほんの微細な変化かもしれない。</p><p>けれど体の芯から、奥底から、以前とは違う感覚がじんわりと染み出してくる。</p><p><br></p><p>今朝、私は実感した。</p><p>自分を変えようと決心し、その一歩を確かに踏み出したのだと。</p><p><br></p><p>これから先、本当に変われるかもしれないし、変わらないかもしれない。</p><p>それはまだわからない。</p><p>けれど、変わろうと決めたという事実だけは、確かに私の中に刻まれた。</p><p>そしてその決意は、きっと何かしらの変化を生むのだと思う。</p><p><br></p><p>この3年、私は他人と競うことをせず、</p><p>ただ自分の内面だけを見つめながら、コツコツと練習を重ねてきた。</p><p>一人で続けてきた分、思い込みや間違いも、きっとたくさんあったと思う。</p><p><br></p><p>今は、その思い込みや間違いを一つひとつ拾い上げ、新しい形へと修正していく時間なのだ。</p><p>これまで重ねてきた時間は、遠回りだったのかもしれない。</p><p>それでも、決して無駄ではなかったと思いたい。</p><p>日々、小さな変化を感じながら過ごしてきたこの年月の中で、</p><p>私は、身体の限界が来るその日まで、踊りと自分に真摯に向き合うことをやめないと誓った。</p><p><br></p><p>そして今、</p><p>その誓いが、次のフェーズへ入ったのだと感じている。</p><p><br></p><p>2026年3月14日。</p><p>ほんの小さな変化の日。</p><p>けれど、私にとっては</p><p>大きな一歩の、記念すべき一日だった。</p><p><br></p><p>※note記事　2026年3月14日分より</p><p><br></p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[夢の中で日記を書く朝]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58702164/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/13b9fe97cb95fde9176df96eadbc8e02_03e36d54c7a3d2a1fa059bb32753ee89.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58702164</id><summary><![CDATA[帰宅が遅かった日の翌日の朝練は、起きるのがかなり大変だ。水曜日。宗像のクラスから1時間15分運転をして、福岡市内の自宅へ。22時20分に帰宅。そこから食事、入浴、翌日の支度。そして少しだけ、ぼーっとする時間。気がつくと、就寝時間はたいてい1時30分頃になっている。そこから5時起床。アラームは5時、5時15分、5時30分、5時45分、6時と何段階にもかけている。たいてい一度目は目が覚める。しかもアラームが鳴る直前に。4時50分、4時55分あたり。私はここで、必ず一度目を覚ます。だけど、まだ4時台という安心感と、ここ数日の寒さ。つい毛布にくるまって、もう一度目を閉じてしまう。そこから先のアラームは、ほとんど記憶にない。鳴っているはずなのに、無意識に止めているらしい。そして大抵、この時間帯に夢を見ている。今朝の夢には、かつて数回だけお目にかかったことのあるダンス関係者の方と、もうご縁がなくなって数年経つ方が出てきた。どうやら夢の中の私は、彼女たちに不義理を働いていたらしい。不義理というのは、約束のダブルブッキング。彼女たちと約束していた時間に、私は間に合わなかった。お詫びをしようと近づくと、二人はひどく不機嫌だった。「いつも対応が雑だよね」目も合わせず、険悪な空気で怒られる。まあ、当たり前なのだけれど。そこになぜか妹と、妹の彼も現れる。今、妹は既婚者で、この彼と結婚している。夢の中で二人は結婚しておらず、スケートデートに行くらしい。現実の妹はスケートなんてしないのに、動きやすくて濡れても目立たない服を選びながら、私に失望したような顔を向けている。全く関係のない三人が、同じ夢の中にいる。そして、細かいところは忘れてしまったのだが、夢の中の私は、なぜかメモを取っていた。夢日記。夢に出てきた出来事を書き留めているのだ。夢の中の私は、この出来事を夢だと認識していて、「あの人とあの人が夢に出てきた。夢の中で不義理して怒られた。この夢を書き留めておこう」そんなふうに思いながらメモを取っている。ーなんともややこしい。夢の中で夢だと認識しながら、夢日記をつけている。そしてそのメモを取る行為を、夢の中の私は現実だと思っている。だから私は、自分が寝ているとも、夢を見ているとも思っていない。現実の時間の中で、夢に出てきた出来事を記録していると思い込んでいる。はっと目を開けると、6時20分。ーやばい。もう、とっくに支度をしていなければならない時間だった。慌てて飛び起きる。撫でてほしくて近くに来ていたウサギのきなこに「ごめんね、撫でてあげる暇がないよ」と言って、頭をひと撫で。そして、マットレスを片付ける。慌てて支度をしながら、私はさっきまで見ていた夢を思い返す。……あれ？メモしていなかったっけ？ふと、そう思う。だが、メモをしていたのは夢の中での出来事だ。完全に夢と現実がごっちゃになっている。最近の私の夢には、少し変わった特徴がある。夢の中で起こっている出来事を、夢の中の自分が「これは夢だ」と認識しているのだ。そして、こう独り言を言う。「ああ、この夢、前にも見たよね」あるいは、「前に見た夢と同じ出来事が起こっている」まるで夢がシリーズもののように続いている。この手の夢には、少し注意が必要だ。夢の中で「これは夢だ」と思っているとき、私は半分覚醒している状態になっている。身体は眠っているのに、意識だけが起きている。そのせいか、起きているような感覚があるのに、実際にはまだ眠っている。だから、うっかり寝過ごしやすいのだ。そしてもう一つ。夢の中で現実のように考えたり行動したりしているせいか、目が覚めたとき、どっと疲れを感じることがある。まるで、すでに一日を終えた後のような疲労感。朝、目を覚ました瞬間から、もう、一日分のエネルギーを使い切ってしまったような感覚になるのだ。だが、夢の中で過去の夢を振り返り、「ああ、そうそう。このシーンあったよね」などと、夢のシリーズものの続きを見ているように感じるのは、なかなか面白い。夢の中で、夢の記憶を思い出しているのだ。不思議な感覚だが、どこか懐かしくもあり、妙に納得してしまう瞬間でもある。そしてそんな夢を見たあと、また続きを見てみたい、などと思ってしまう自分もいる。こんなふうに、今日も私はおかしな夢のシリーズに翻弄されながら、危うく遅刻しそうになった。今、車はスタジオへ向かっている。春が近づき、夜明けが少しずつ早くなってきた。朝焼けの空を見ながらの早朝の運転は、どこか心地がいい。まだ空気はとても冷たく、ハンドルを握る指先は凍えるほどだ。それでも、春はもうすぐそこまで来ている。あと10日もすれば、きっとどこかから桜の便りが聞こえてくる頃だ。さあ、今日も一日が朝練から始まる。できない自分と向き合う時間。それでも、1ミリでも前へ進めたらいい。そんなことを思いながら、車は静かな朝の道を、スタジオへと走っていく（3月12日　note記事より）]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-04-01T02:43:11+00:00</published><updated>2026-04-01T02:43:11+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>帰宅が遅かった日の翌日の朝練は、起きるのがかなり大変だ。</p><p><br></p><p>水曜日。</p><p>宗像のクラスから1時間15分運転をして、福岡市内の自宅へ。22時20分に帰宅。</p><p>そこから食事、入浴、翌日の支度。</p><p>そして少しだけ、ぼーっとする時間。</p><p>気がつくと、就寝時間はたいてい1時30分頃になっている。</p><p><br></p><p>そこから5時起床。</p><p><br></p><p>アラームは5時、5時15分、5時30分、5時45分、6時と何段階にもかけている。</p><p>たいてい一度目は目が覚める。</p><p>しかもアラームが鳴る直前に。</p><p>4時50分、4時55分あたり。</p><p><br></p><p>私はここで、必ず一度目を覚ます。</p><p><br></p><p>だけど、まだ4時台という安心感と、ここ数日の寒さ。</p><p>つい毛布にくるまって、もう一度目を閉じてしまう。</p><p><br></p><p>そこから先のアラームは、ほとんど記憶にない。</p><p>鳴っているはずなのに、無意識に止めているらしい。</p><p>そして大抵、この時間帯に夢を見ている。</p><p><br></p><p><br></p><p>今朝の夢には、かつて数回だけお目にかかったことのあるダンス関係者の方と、もうご縁がなくなって数年経つ方が出てきた。</p><p><br></p><p>どうやら夢の中の私は、彼女たちに不義理を働いていたらしい。</p><p>不義理というのは、約束のダブルブッキング。</p><p><br></p><p>彼女たちと約束していた時間に、私は間に合わなかった。</p><p>お詫びをしようと近づくと、二人はひどく不機嫌だった。</p><p><br></p><p>「いつも対応が雑だよね」</p><p><br></p><p>目も合わせず、険悪な空気で怒られる。</p><p>まあ、当たり前なのだけれど。</p><p><br></p><p>そこになぜか妹と、妹の彼も現れる。</p><p>今、妹は既婚者で、この彼と結婚している。</p><p><br></p><p>夢の中で二人は結婚しておらず、スケートデートに行くらしい。</p><p>現実の妹はスケートなんてしないのに、</p><p>動きやすくて濡れても目立たない服を選びながら、私に失望したような顔を向けている。</p><p><br></p><p>全く関係のない三人が、同じ夢の中にいる。</p><p><br></p><p>そして、細かいところは忘れてしまったのだが、</p><p>夢の中の私は、なぜかメモを取っていた。</p><p>夢日記。</p><p><br></p><p>夢に出てきた出来事を書き留めているのだ。</p><p>夢の中の私は、この出来事を夢だと認識していて、</p><p>「あの人とあの人が夢に出てきた。夢の中で不義理して怒られた。この夢を書き留めておこう」</p><p>そんなふうに思いながらメモを取っている。</p><p><br></p><p><br></p><p>ーなんともややこしい。</p><p><br></p><p><br></p><p>夢の中で夢だと認識しながら、夢日記をつけている。</p><p>そしてそのメモを取る行為を、夢の中の私は現実だと思っている。</p><p><br></p><p><br></p><p>だから私は、自分が寝ているとも、夢を見ているとも思っていない。</p><p>現実の時間の中で、夢に出てきた出来事を記録していると思い込んでいる。</p><p><br></p><p><br></p><p>はっと目を開けると、6時20分。</p><p><br></p><p><br></p><p>ーやばい。</p><p><br></p><p><br></p><p>もう、とっくに支度をしていなければならない時間だった。</p><p>慌てて飛び起きる。</p><p><br></p><p>撫でてほしくて近くに来ていたウサギのきなこに</p><p>「ごめんね、撫でてあげる暇がないよ」と言って、頭をひと撫で。</p><p>そして、マットレスを片付ける。</p><p><br></p><p>慌てて支度をしながら、私はさっきまで見ていた夢を思い返す。</p><p><br></p><p>……あれ？</p><p>メモしていなかったっけ？</p><p><br></p><p>ふと、そう思う。</p><p>だが、メモをしていたのは夢の中での出来事だ。</p><p><br></p><p>完全に夢と現実がごっちゃになっている。</p><p><br></p><p>最近の私の夢には、少し変わった特徴がある。</p><p>夢の中で起こっている出来事を、夢の中の自分が</p><p>「これは夢だ」と認識しているのだ。</p><p><br></p><p>そして、こう独り言を言う。</p><p>「ああ、この夢、前にも見たよね」</p><p><br></p><p>あるいは、</p><p><br></p><p>「前に見た夢と同じ出来事が起こっている」</p><p>まるで夢がシリーズもののように続いている。</p><p><br></p><p>この手の夢には、少し注意が必要だ。</p><p><br></p><p>夢の中で「これは夢だ」と思っているとき、</p><p>私は半分覚醒している状態になっている。</p><p>身体は眠っているのに、意識だけが起きている。</p><p><br></p><p>そのせいか、</p><p>起きているような感覚があるのに、実際にはまだ眠っている。</p><p>だから、うっかり寝過ごしやすいのだ。</p><p><br></p><p>そしてもう一つ。</p><p><br></p><p>夢の中で現実のように考えたり行動したりしているせいか、</p><p>目が覚めたとき、どっと疲れを感じることがある。</p><p>まるで、すでに一日を終えた後のような疲労感。</p><p><br></p><p>朝、目を覚ました瞬間から、</p><p>もう、一日分のエネルギーを使い切ってしまったような感覚になるのだ。</p><p><br></p><p>だが、夢の中で過去の夢を振り返り、</p><p>「ああ、そうそう。このシーンあったよね」</p><p>などと、夢のシリーズものの続きを見ているように感じるのは、なかなか面白い。</p><p><br></p><p>夢の中で、夢の記憶を思い出しているのだ。</p><p><br></p><p>不思議な感覚だが、どこか懐かしくもあり、</p><p>妙に納得してしまう瞬間でもある。</p><p><br></p><p><br></p><p>そしてそんな夢を見たあと、</p><p>また続きを見てみたい、などと思ってしまう自分もいる。</p><p><br></p><p>こんなふうに、今日も私は</p><p>おかしな夢のシリーズに翻弄されながら、危うく遅刻しそうになった。</p><p><br></p><p>今、車はスタジオへ向かっている。</p><p>春が近づき、夜明けが少しずつ早くなってきた。</p><p>朝焼けの空を見ながらの早朝の運転は、どこか心地がいい。</p><p><br></p><p>まだ空気はとても冷たく、</p><p>ハンドルを握る指先は凍えるほどだ。</p><p>それでも、春はもうすぐそこまで来ている。</p><p><br></p><p>あと10日もすれば、</p><p>きっとどこかから桜の便りが聞こえてくる頃だ。</p><p><br></p><p>さあ、今日も一日が朝練から始まる。</p><p>できない自分と向き合う時間。</p><p>それでも、1ミリでも前へ進めたらいい。</p><p><br></p><p>そんなことを思いながら、</p><p>車は静かな朝の道を、スタジオへと走っていく</p><p><br></p><p>（3月12日　note記事より）</p><p><br></p>
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			<p>２０２６年３月11日。</p><p><br></p><p>また夢を見た。</p><p>あの【シリーズで現れる夢】の一つ、トイレの夢だ。</p><p>私はどこかの土地でトイレを探していた。</p><p><br></p><p>日本ではないような、でもどこか現実にもありそうな場所。</p><p>入るとそこは、トイレというより大きなロビーのような空間だった。</p><p>ゆったりとしたソファーが並び、人々がくつろいでいる。</p><p>なぜか男性もいる。</p><p><br></p><p>そのスペースを抜けると、トイレの個室が現れる。</p><p>だが現実のように整然と並んでいるわけではない。</p><p>とても広い空間に、ランダムに個室が配置されている。</p><p><br></p><p>扉を開ける。</p><p>けれど使えない。</p><p>空いていたと思ったら、誰かに先を越される。</p><p><br></p><p>また別の扉を開ける。</p><p>そこも使えない。</p><p><br></p><p>私は広い空間を歩き回り、使えるトイレを探している。</p><p>やっと空いているエリアを見つけた。</p><p>だがそこはすべて和式だった。</p><p>しかもあまり清潔ではない。</p><p>これでは使えない。</p><p>そう思い、また探す。</p><p><br></p><p>別のルートを見つけて進んでいくと、</p><p>そこにも個室がある。</p><p>だが奥に大きなくり抜き窓があり、</p><p>通りに立つ人たちが見える。</p><p><br></p><p>距離は遠い。</p><p>それでも、見られている気がする。</p><p>そこも避ける。</p><p>私はぐるぐるとトイレを探し回る。</p><p><br></p><p>その時ふと思う。</p><p><br></p><p>「これ、夢でよく見るやつだ」</p><p>夢の中で、そう思う。</p><p>本当に夢で見たものとそっくりだと思う。</p><p>そしてその夢は、トイレだけでは終わらない。</p><p><br></p><p>私は逃げている。</p><p>ある人たちから逃げていた。</p><p>世間一般の常識。</p><p>世間一般の考え方。</p><p>世間一般の倫理観。</p><p>そんなものから逃げていた。</p><p><br></p><p>なぜこの設定になったのか分からない。</p><p>そのドラマを見直したわけでもないし、</p><p>普段思い出すこともない。</p><p><br></p><p>けれど夢の中で私は、</p><p>昔見たあるドラマの主人公の立場になっていた。</p><p>私は少年と一緒に逃げていた。</p><p><br></p><p><br></p><p>⸻</p><p>はっと目が覚める。</p><p>時計を見る。</p><p>6時45分。</p><p>ああ、やってしまった。</p><p><br></p><p><br></p><p>本当は5時に目を覚ましていた。</p><p>けれど朝の空気がとても冷たく、起きる勇気が出なかった。</p><p>毛布にくるまり、もう少しだけと思って目を閉じた。</p><p>そのまま眠ってしまっていたのだ。</p><p><br></p><p>急いで飛び起きる。</p><p>着替え、顔も洗わず家を飛び出す。</p><p>完全に遅刻だ。</p><p><br></p><p>車に乗り、エンジンをかける。</p><p>すると窓ガラスが真っ白だった。</p><p>凍りついている。</p><p>気温2度。</p><p><br></p><p>ワイパーでこすっても落ちない。</p><p>エアコンの霜取りを最大にする。</p><p>それでもなかなか溶けない。</p><p>こんな急いでいる時に。</p><p>イライラしてしまう。</p><p><br></p><p>まるで夢の中のようだ。</p><p>また夢の中のようだと思う。</p><p>でもこれは現実だ。</p><p><br></p><p>ワイパーを動かし、霜をこすり落とす。</p><p>ガリガリと音がする。</p><p>少しずつ剥がれていく。</p><p><br></p><p>その瞬間、とんでもなく明るい朝日が目に飛び込んできた。</p><p>驚くほど眩しい。</p><p>太陽が大きい。</p><p>本当に夢じゃないのか。</p><p>何度もそう思う。</p><p><br></p><p>そう思いながら、車をスタジオへ走らせる。</p><p>スタジオに着く。</p><p>7時20分。</p><p><br></p><p><br></p><p>ああ、20分も遅刻してしまった。</p><p><br></p><p><br></p><p>痛む身体。</p><p>冷たい床。</p><p>私はストレッチをしようとカバンからテニスボールを取り出す。</p><p><br></p><p>その瞬間、嫌な予感がする。</p><p>ああ。</p><p>またやってしまった。</p><p><br></p><p><br></p><p>お財布がない。</p><p>昨日出かけた時、カバンを変えていた。</p><p>お財布を入れ替えるのを忘れていたのだ。</p><p><br></p><p><br></p><p>悪い夢みたいだ。</p><p>夢だったらどんなにいいだろう。</p><p>でもこれは現実。</p><p><br></p><p>仕方なく、まだ寝ている家族にメールを送る。</p><p>「本当にごめん。</p><p>起きたらスタジオまでお財布を届けてくれないかな」</p><p>スタジオの地図を添付する。</p><p><br></p><p><br></p><p>そんなこんなで。</p><p>現実のような夢を見て、</p><p>夢であってほしいような現実で始まった水曜日の朝。</p><p><br></p><p><br></p><p>痛む身体で、私はスタジオに立っている。</p><p><br></p><p><br></p><p>さあ、今日も土台を見直す時間。</p><p>なかなかうまくいかず、</p><p>暗礁に乗り上げているように見える。</p><p><br></p><p><br></p><p>それでもいい。</p><p>ほんの髪の毛ほどでもいい。</p><p>微生物ほどの大きさでもいい。</p><p>前に進みたい。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ざわざわ。]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58653104/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/4019114b8ddaa9055d11752a9399dde1_1620ce9de250370f1da9165ae40a3a7f.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58653104</id><summary><![CDATA[帰国2日目。土砂降りの朝。朝5時に目が覚めた。が、私はつい二度寝をしてしまう。次に目が覚めたのは6時30分。朝練に出発する時間だ。いつもならこのまま飛び起きて、眠い目をこすりながら、ノーメイクにジャージで走っていく。けれど今日は違った。このあと打ち合わせが入っているのだ。￥私は慌ててメイク道具と歯磨きセットを取り出し、カバンに詰め込む。ジャージではなく、ワンピースとブーツに着替える。このあとお客様との打ち合わせがあるので、きちんとした服装で行かなければならない。髪は昨夜のうちにアイロンで整えておいた。そこだけは、ギリギリセーフ。しかし荷物が多い。パソコン、練習用のスカート、シューズ、打ち合わせ用のノート、メイク道具、その他諸々。ずっしりと重いリュックを背負い、コートを着て慌てて家を飛び出す。部屋は散らかったまま。水すら一口も飲めていない。歯も磨けていない。やりっぱなしの状態で家を出ること、時間を自分でコントロールできていないことに、苛立ちが募る。寝不足。疲れ。散らかった部屋。そのすべてが、私を少しずつイライラさせる。帰国してから、家で1時間もゆっくりできていない気がする。ずっと時間に追われ、スーツケースの中身すらまだ片付けていない。外は土砂降りの雨。運転しながら、土砂降りの激しい雨の音に心がざわつく。水浸しになった道は、車線すらはっきりと見えない。雨にけむって、視界も悪い。ああ、この雨が晴れたら、すっきりするのだろうか。この雨が晴れたら、物事も少しはクリアに見えてくるのだろうか。私の心のざわつきも、少しは晴れてくれるのだろうか。道は渋滞していた。思うように車が進まず、また苛立つ。15分遅れでスタジオに到着。急いでブーツを脱ごうとして、もたつく。また少しイラ立つ。ああもう。なんだか心がざわざわしている。そんな自分に、少しうんざりする。パソコンを開き、レクチャー動画を確認する。基礎のやり直しだ。説明はすべて英語。少しずつ動画を止めながら、意味を理解しつつ進めていく。レッスンで受けている時は、とにかく内容をざっくり把握するのに精一杯で、細かいディテールは聞こえていない。その聞き逃しを一つずつ洗い出していく作業を、今しているのだ。細かいところに注意しながら、説明を落とし込んでいく。30分ほどその作業をしたあと、舞台のための踊り込み。先日エストニアで踊った演目を、再び舞台で踊る。エストニアでダリナに個人レッスンで指摘された部分を見つけながら、出だしを何度も何度も繰り返す。だが、なかなか思うようにできない。重心の位置が変わる。引き上げる。最高到達点が変わる。床をつかむ感覚が変わる。ターンの軸が微妙にぶれる。すべてが噛み合っておらず、ふらふらと安定しない踊りが続く。雨の音がうるさい。また少し苛立つ。ずっと心が波立っている。今朝は寝坊した瞬間からそうだ。そうだ、すべて自分のせいなのだ。だが、やり場のない気持ちにまた苛立ってしまう。スタジオの鏡でメイクをし、髪を整える。今日は打ち合わせで、おそらく終日かかる。帰宅は夜になろう。部屋は散らかったまま。スーツケースは床に転がったまま。踊りは踊れないまま。すべてが散らかった状態で放り出されているようで、不安や苛立ちに苛まれる。いろんな意味で断捨離をしなくてはならない。物が部屋にあふれている状態も耐えがたい。私は物をたくさん抱え込むのが苦手だ。感情もそうだ。たくさんの感情を一気に抱え込むと、自分にキャパオーバーとなり、不安定な状態になる。今、カオスな状態の部屋は、まるで自分の心の中のようだ。15日の舞台が終わったら、部屋を片付けて、断捨離して、物を減らして、ゆっくりと自分の基礎から見直す時間が欲しい。生活の基礎。踊りの基礎。考え方の基礎。すべて断捨離して、すっきりと整理したい。部屋が散らかると心が乱れる。心が乱れると行動が雑になる。時間に追われる。悪循環をしている。忙しいのではなく、充実した状態を作りたい。ただ、雑多なことがごちゃごちゃと自分の前に転がっていて、余裕なくそれを必死に片付け、片付かない現状。頭の中が整理できていない状態で片付けようとしても、効率は上がらないし、ちっとも片付いた気持ちになれない。まずは、部屋の空間を整えることから始めたい。だが、しばらくはこのカオスな状態が続きそうだ。心穏やかに過ごせる日が、一日も早く来るように。断捨離を早く進めたいものだ。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-03-18T12:54:23+00:00</published><updated>2026-03-18T12:54:43+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>帰国2日目。土砂降りの朝。</p><p>朝5時に目が覚めた。</p><p>が、私はつい二度寝をしてしまう。</p><p>次に目が覚めたのは6時30分。</p><p>朝練に出発する時間だ。</p><p><br></p><p>いつもならこのまま飛び起きて、眠い目をこすりながら、ノーメイクにジャージで走っていく。</p><p>けれど今日は違った。このあと打ち合わせが入っているのだ。</p><p>￥</p><p>私は慌ててメイク道具と歯磨きセットを取り出し、カバンに詰め込む。</p><p>ジャージではなく、ワンピースとブーツに着替える。</p><p>このあとお客様との打ち合わせがあるので、きちんとした服装で行かなければならない。</p><p>髪は昨夜のうちにアイロンで整えておいた。</p><p>そこだけは、ギリギリセーフ。</p><p><br></p><p>しかし荷物が多い。</p><p><br></p><p>パソコン、練習用のスカート、シューズ、打ち合わせ用のノート、メイク道具、その他諸々。</p><p>ずっしりと重いリュックを背負い、コートを着て慌てて家を飛び出す。</p><p><br></p><p>部屋は散らかったまま。</p><p>水すら一口も飲めていない。</p><p>歯も磨けていない。</p><p><br></p><p>やりっぱなしの状態で家を出ること、時間を自分でコントロールできていないことに、苛立ちが募る。</p><p><br></p><p>寝不足。疲れ。散らかった部屋。</p><p>そのすべてが、私を少しずつイライラさせる。</p><p><br></p><p>帰国してから、家で1時間もゆっくりできていない気がする。</p><p>ずっと時間に追われ、スーツケースの中身すらまだ片付けていない。</p><p><br></p><p>外は土砂降りの雨。</p><p>運転しながら、土砂降りの激しい雨の音に心がざわつく。</p><p>水浸しになった道は、車線すらはっきりと見えない。</p><p>雨にけむって、視界も悪い。</p><p><br></p><p>ああ、この雨が晴れたら、すっきりするのだろうか。</p><p>この雨が晴れたら、</p><p>物事も少しはクリアに見えてくるのだろうか。</p><p>私の心のざわつきも、</p><p>少しは晴れてくれるのだろうか。</p><p><br></p><p>道は渋滞していた。</p><p>思うように車が進まず、また苛立つ。</p><p><br></p><p>15分遅れでスタジオに到着。</p><p>急いでブーツを脱ごうとして、もたつく。</p><p>また少しイラ立つ。</p><p>ああもう。</p><p>なんだか心がざわざわしている。</p><p>そんな自分に、少しうんざりする。</p><p><br></p><p>パソコンを開き、レクチャー動画を確認する。</p><p>基礎のやり直しだ。</p><p>説明はすべて英語。</p><p>少しずつ動画を止めながら、意味を理解しつつ進めていく。</p><p><br></p><p>レッスンで受けている時は、とにかく内容をざっくり把握するのに精一杯で、細かいディテールは聞こえていない。</p><p>その聞き逃しを一つずつ洗い出していく作業を、今しているのだ。</p><p><br></p><p>細かいところに注意しながら、説明を落とし込んでいく。</p><p>30分ほどその作業をしたあと、舞台のための踊り込み。</p><p>先日エストニアで踊った演目を、再び舞台で踊る。</p><p><br></p><p>エストニアでダリナに個人レッスンで指摘された部分を見つけながら、出だしを何度も何度も繰り返す。</p><p><br></p><p>だが、なかなか思うようにできない。</p><p><br></p><p>重心の位置が変わる。</p><p>引き上げる。</p><p>最高到達点が変わる。</p><p>床をつかむ感覚が変わる。</p><p>ターンの軸が微妙にぶれる。</p><p>すべてが噛み合っておらず、ふらふらと安定しない踊りが続く。</p><p><br></p><p>雨の音がうるさい。</p><p>また少し苛立つ。</p><p><br></p><p>ずっと心が波立っている。</p><p>今朝は寝坊した瞬間からそうだ。</p><p><br></p><p>そうだ、すべて自分のせいなのだ。</p><p>だが、やり場のない気持ちにまた苛立ってしまう。</p><p><br></p><p>スタジオの鏡でメイクをし、髪を整える。</p><p>今日は打ち合わせで、おそらく終日かかる。</p><p>帰宅は夜になろう。</p><p><br></p><p>部屋は散らかったまま。</p><p>スーツケースは床に転がったまま。</p><p>踊りは踊れないまま。</p><p><br></p><p>すべてが散らかった状態で放り出されているようで、不安や苛立ちに苛まれる。</p><p><br></p><p>いろんな意味で断捨離をしなくてはならない。</p><p>物が部屋にあふれている状態も耐えがたい。</p><p>私は物をたくさん抱え込むのが苦手だ。</p><p><br></p><p>感情もそうだ。</p><p><br></p><p>たくさんの感情を一気に抱え込むと、自分にキャパオーバーとなり、不安定な状態になる。</p><p>今、カオスな状態の部屋は、まるで自分の心の中のようだ。</p><p><br></p><p>15日の舞台が終わったら、部屋を片付けて、断捨離して、物を減らして、ゆっくりと自分の基礎から見直す時間が欲しい。</p><p><br></p><p>生活の基礎。</p><p>踊りの基礎。</p><p>考え方の基礎。</p><p><br></p><p>すべて断捨離して、すっきりと整理したい。</p><p><br></p><p>部屋が散らかると心が乱れる。</p><p>心が乱れると行動が雑になる。</p><p>時間に追われる。</p><p>悪循環をしている。</p><p><br></p><p>忙しいのではなく、充実した状態を作りたい。</p><p><br></p><p>ただ、雑多なことがごちゃごちゃと自分の前に転がっていて、余裕なくそれを必死に片付け、片付かない現状。</p><p><br></p><p>頭の中が整理できていない状態で片付けようとしても、効率は上がらないし、ちっとも片付いた気持ちになれない。</p><p><br></p><p>まずは、部屋の空間を整えることから始めたい。</p><p><br></p><p>だが、しばらくはこのカオスな状態が続きそうだ。</p><p>心穏やかに過ごせる日が、一日も早く来るように。</p><p><br></p><p>断捨離を早く進めたいものだ。</p><p><br></p>
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			<p>帰国翌日の朝7時。</p><p>私はいつものように朝練のスタジオに向かっていた。</p><p><br></p><p>昨日まで北欧の小さな町にいたことが嘘のように、日常は何も変わらない。</p><p>けれど、異国の地に立つと、いつも考えさせられることがある。</p><p><br></p><p>知らない街。</p><p>知らない文化。</p><p>知らない風習。</p><p>知らない言葉。</p><p>その土地に根付いてきた人々の生活の痕跡、空気の匂い、街の色、言葉の響き。</p><p>そのすべてが新鮮で、とても美しく感じられる。</p><p>同時に、日本の素晴らしさにも改めて気づかされる。</p><p><br></p><p>日本は本当に便利で、豊かな国だ。</p><p><br></p><p>こういう時、私は映画『侍タイムスリッパー』のワンシーンを思い出す。</p><p>幕末からタイムスリップして現代の日本に来た会津藩士・高坂新左衛門が、初めてショートケーキを口にし、涙を流しながらこう言う。</p><p>「こんな美味いものが食べられるとは、日の本は良い国になったのですね」</p><p><br></p><p>コンビニも、自動販売機も、交通機関も整っていて、ほとんどのものはすぐ手に入る。</p><p>電車は時間通りに来て、どこへでも簡単に移動できる。</p><p>どこでも気軽に飲み物や食べ物が手に入り、清潔なお手洗いにも行ける。</p><p>痒いところに瞬時に手が届く世界だ。</p><p><br></p><p>だが外国に行くと、そうではないことも多い。</p><p>道はぬかるんでいたり、がたがただったり、</p><p>店は少なく、お手洗いも近場に無く、</p><p>欲しいものがすぐ手に入るとは限らない。</p><p>けれど人々は、当たり前のように生活している。</p><p>そしてどこか、心が豊かに見える。</p><p><br></p><p>そんな光景を見ていると、</p><p>便利さや豊かさの中で、それが当たり前だと思い込んでいた自分に気づかされる。</p><p>本当は、もう少し不便でもいいのかもしれない。</p><p>不便さの中には、</p><p>自分が動くことでしか得られない工夫や感覚、そして感動がある。</p><p>外国に行くと、そんなことを思い出させてもらえる気がする。</p><p><br></p><p>今回のエストニアでも、</p><p>言葉は決して自由ではなかった。</p><p>ロシア語、エストニア語、英語が飛び交う中で、</p><p>私は片言の英語とわずかなロシア語を頼りに、4日間踊りを学んだ。</p><p>決して楽なコミュニケーションではなかった。</p><p>けれど、それは私にとってかけがえのない経験だった。</p><p><br></p><p>その中で改めて感じたのは、</p><p>人と人とのコミュニケーションの本質だ。</p><p><br></p><p>メールやメッセージが当たり前になった今、</p><p>私たちは言葉を交わすことを、どこかで簡単に済ませてしまっているのかもしれない。</p><p><br></p><p>けれど本来、人間は</p><p><br></p><p>目と目を合わせて言葉を交わし、</p><p>五感を駆使して伝え合う生き物なのではないだろうか。</p><p><br></p><p>そして私は、いつも思う。</p><p>踊ることの本質は、</p><p>言葉で何かを伝えることに、とてもよく似ている。</p><p>言葉の代わりに、</p><p>踊りという「言語」を使って、人に何かを伝える。</p><p>それがダンスなのだと思う。</p><p><br></p><p>だからこそ、</p><p>不自由な言葉で必死に何かを伝えようとしたこの数日間は、</p><p>自分の踊りを模索することと、どこか同じ意味を持っていたのかもしれない。</p><p><br></p><p>拙い言葉で、必死に見て、聞いて、感じて、伝えようとする私。</p><p>それは、拙い踊りを引っ提げて、この異国の地に立った私と同じだった。</p><p><br></p><p>エストニアで過ごした数日間は、</p><p>私の人生を、確かに少し豊かにしてくれた。</p><p><br></p><p>これからも私は、</p><p>拙い言葉と拙い踊りで、</p><p>自分が伝えたい「何か」を模索し続けていくのだろう。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[エストニアで踊る]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58647912/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/d6d2ac83067eae0a52f5275b58db68b6_29a79b588df0ed4360d64756a07a2fa5.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58647912</id><summary><![CDATA[コンペ当日の朝、夜中に目が覚め、そのまま朝を迎えた。完全に眠れたとは言えない。けれど横になっていても仕方がない。お湯を沸かそうとケトルのボタンを押す。反応がない。昨日まで使えていたはずなのに。緊張している朝に、こういう小さなトラブルはやけに大きく感じる。一瞬ため息が出たが、私はフロントに電話をした。拙い英語で事情を伝えると、スタッフが来てくれた。壊れたケトルを確認し、新しいものを持ってきてくれ、さらに「ちゃんと動くか確認する」ともう一度ノック。最後には両手いっぱいのティーバッグとコーヒーまで届けてくれた。その丁寧さと笑顔に、張り詰めていた心が少し緩む。温かいお茶が、驚くほど美味しかった。私はゆっくり準備を始める。ストレッチをすると、体が思っている以上に硬い。土踏まずがつり、痛めていた膝裏がうずく。万全ではない。でも整えるしかない。ー12時を過ぎ、メイクを始める。メイクも審査の一部。髪型、衣装、アクセサリー、音楽との調和。昨夜見返した、ダリナが語るコンペへの向き合い方。舞台に立つ姿勢、審査員や観客への敬意。完璧でなくてもいい。誠意だけは欠けさせたくない。ー3時15分、ホテルを出る。雨の中、40番のバスに乗る。窓は泥で曇り、外はよく見えない。なんとなく、今日の自分の視界のようだと思った。会場は団地の奥にあった。ロシアを思わせる建物。16:00会場到着。クロークにコートとブーツを預け、楽屋へ向かう。出場者と挨拶を交わす。「プロ部門の2番目」と伝えると、「応援してる」と言って優しくハグしてくれた。異国の地で、その優しさが胸に沁みる。やがて主催者に呼ばれ、舞台へ向かう。舞台の中央には、ドラムソロチームのメンバーが整列していた。このチームは、事前にダリナのオンラインレッスン生の中から有志が集まり、振付を覚え、準備してきたメンバーだ。私もそのレッスン生なので、もちろん声はかかっていた。けれど今回は、コンペの練習だけで精一杯だったため、事前に丁重に辞退していた。舞台の中央にダリナが立っていた。一年ぶりに会うダリナ。オンラインではずっと繋がっていたけれど、同じ空間で顔を合わせるのは一年ぶりだ。彼女は私を見つけると、ぱっと表情を明るくし、「Oh my dear!」と名前を呼び、満面の笑みで駆け寄ってきた。そして、そのまま強くハグしてくれた。その体温に触れた瞬間、張り詰めていた何かが、ふっとほどけた。それから彼女は私の手を引き、メンバーの前へ連れていく。「This girl came from Japan!」拍手が起こる。本来なら、その輪の中に立っていたかもしれない。でも私は、今回はコンペ一本に集中すると決めていた。やがて本番が近づく。17:40、靴下とレッグウォーマーを脱ぎ、舞台袖に立つ。「Professional category Number two. Saori Matsugu.」自分の名前が響く。曲が鳴り、細かいステップで舞台へ出る。ー最初のターン。得意なはずのターンで、足がもつれる。何かがおかしい。頭は冷静なのに、体が思うように動かない。悪い夢の中のような感覚。音楽に寄り添うことができない。音と動きのずれが、肌感覚で気持ち悪さを伝えてくる。今までで一番ひどい出来だったと思う。長時間のフライトか。時差か。チケットトラブルの消耗か。それとも、単純に実力か。理由はわからない。例え何百回練習でうまくいったとて、たった一回のステージに現れるものが、今の私のすべて。一切の言い訳はきかない。その瞬間に出たものが自分の真の実力なのだ。私はそう納得した。思っていたよりも、できていない自分。そして、世界のレベルの高さ。簡単には埋められない溝。でも、それを知るためにここに来た。悔しさよりも、清々しさがあった。客席に回り、他の出場者の踊りを見る。圧倒的な実力。どのダンサーも強いパーソナリティで、「わたしはここに居る！！」とステージ上から熱く語りかけ、心を揺さぶってくる。ハイレベルな闘い、自己表現。私には足りないものだらけで、どこか遠い世界の出来事のように俯瞰して観ている自分がいた。それでも、観客として純粋に、素晴らしいパフォーマンスの数々に魅了されていた。その中でも際立って、この人は優勝する、と確信できるダンサーがいた。赤い衣装で、ドラマチックに、激しく熱くフラメンコフュージョンを踊った黒髪のロシア人ダンサー。彼女が王冠を手にした。私は心から彼女の優勝を讃えた。そして去年ロンドンで一緒のステージで踊ったダンサー達と笑顔でお互いの頑張りを讃え合った。ーこうして私のエストニアでのチャレンジは幕を閉じた。不思議と、悔しさや後悔はない。ただダンスが好き、ダリナが好きという引力に引き寄せられた、様々な国籍のダンサーたち。ダンスを通して自己表現し、自他ともに尊重し、讃えあう。日本にいたら感じることのできない、この寛容でおおらかな空気。この国の、このハイレベルなステージで踊れたこと。チャレンジを諦めなかったこと。去年ロンドンで出会ったダンサー達との再会。楽屋での何気ないやりとり。全てが私にとって、かけがえのない経験だった。私は本当に、こうして不自由な海外に出向いて踊ることが好きなのだ。今、ここにいる事の悦びをかみしめていた。雪道を歩き、バスでホテルに戻る。エストニアの夜の景色。霧、溶けた雪道、温度、色、匂い。忘れられない景色になる。帰り着き、どうしても今の気持ちを伝えたくて、ダリナにメールを書く。ここまでの道のり。今日感じたこと。彼女の教えの答え合わせができたこと。そして、言葉にできない感謝。ー送信。…その瞬間、糸が切れた。私は倒れ込むように眠りに落ちた]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-03-17T01:13:09+00:00</published><updated>2026-03-17T01:13:32+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>コンペ当日の朝、夜中に目が覚め、そのまま朝を迎えた。</p><p>完全に眠れたとは言えない。</p><p><br></p><p>けれど横になっていても仕方がない。</p><p><br></p><p>お湯を沸かそうとケトルのボタンを押す。</p><p>反応がない。昨日まで使えていたはずなのに。</p><p>緊張している朝に、こういう小さなトラブルはやけに大きく感じる。</p><p><br></p><p>一瞬ため息が出たが、私はフロントに電話をした。</p><p>拙い英語で事情を伝えると、スタッフが来てくれた。</p><p>壊れたケトルを確認し、新しいものを持ってきてくれ、</p><p>さらに「ちゃんと動くか確認する」ともう一度ノック。</p><p>最後には両手いっぱいのティーバッグとコーヒーまで届けてくれた。</p><p>その丁寧さと笑顔に、張り詰めていた心が少し緩む。</p><p>温かいお茶が、驚くほど美味しかった。</p><p><br></p><p>私はゆっくり準備を始める。</p><p><br></p><p>ストレッチをすると、体が思っている以上に硬い。</p><p>土踏まずがつり、痛めていた膝裏がうずく。</p><p>万全ではない。</p><p>でも整えるしかない。</p><p><br></p><p>ー12時を過ぎ、メイクを始める。</p><p>メイクも審査の一部。</p><p>髪型、衣装、アクセサリー、音楽との調和。</p><p>昨夜見返した、ダリナが語るコンペへの向き合い方。</p><p>舞台に立つ姿勢、審査員や観客への敬意。</p><p><br></p><p>完璧でなくてもいい。</p><p>誠意だけは欠けさせたくない。</p><p><br></p><p>ー3時15分、ホテルを出る。</p><p>雨の中、40番のバスに乗る。</p><p><br></p><p>窓は泥で曇り、外はよく見えない。</p><p>なんとなく、今日の自分の視界のようだと思った。</p><p><br></p><p>会場は団地の奥にあった。</p><p>ロシアを思わせる建物。16:00会場到着。</p><p>クロークにコートとブーツを預け、楽屋へ向かう。</p><p><br></p><p>出場者と挨拶を交わす。</p><p>「プロ部門の2番目」と伝えると、「応援してる」と言って優しくハグしてくれた。</p><p>異国の地で、その優しさが胸に沁みる。</p><p>やがて主催者に呼ばれ、舞台へ向かう。</p><p><br></p><p>舞台の中央には、ドラムソロチームのメンバーが整列していた。</p><p>このチームは、事前にダリナのオンラインレッスン生の中から有志が集まり、振付を覚え、準備してきたメンバーだ。</p><p>私もそのレッスン生なので、もちろん声はかかっていた。</p><p>けれど今回は、コンペの練習だけで精一杯だったため、事前に丁重に辞退していた。</p><p><br></p><p>舞台の中央にダリナが立っていた。</p><p>一年ぶりに会うダリナ。</p><p>オンラインではずっと繋がっていたけれど、</p><p>同じ空間で顔を合わせるのは一年ぶりだ。</p><p><br></p><p>彼女は私を見つけると、ぱっと表情を明るくし、</p><p>「Oh my dear!」</p><p>と名前を呼び、満面の笑みで駆け寄ってきた。</p><p>そして、そのまま強くハグしてくれた。</p><p>その体温に触れた瞬間、</p><p>張り詰めていた何かが、ふっとほどけた。</p><p>それから彼女は私の手を引き、メンバーの前へ連れていく。</p><p>「This girl came from Japan!」</p><p>拍手が起こる。</p><p><br></p><p>本来なら、その輪の中に立っていたかもしれない。でも私は、今回はコンペ一本に集中すると決めていた。</p><p><br></p><p>やがて本番が近づく。</p><p><br></p><p>17:40、靴下とレッグウォーマーを脱ぎ、舞台袖に立つ。</p><p>「Professional category Number two. Saori Matsugu.」</p><p>自分の名前が響く。</p><p>曲が鳴り、細かいステップで舞台へ出る。</p><p><br></p><p>ー最初のターン。</p><p>得意なはずのターンで、足がもつれる。</p><p>何かがおかしい。</p><p>頭は冷静なのに、体が思うように動かない。</p><p>悪い夢の中のような感覚。</p><p>音楽に寄り添うことができない。</p><p>音と動きのずれが、肌感覚で気持ち悪さを伝えてくる。</p><p>今までで一番ひどい出来だったと思う。</p><p>長時間のフライトか。</p><p>時差か。</p><p>チケットトラブルの消耗か。</p><p>それとも、単純に実力か。</p><p>理由はわからない。</p><p><br></p><p>例え何百回練習でうまくいったとて、たった一回のステージに現れるものが、今の私のすべて。一切の言い訳はきかない。その瞬間に出たものが自分の真の実力なのだ。</p><p><br></p><p>私はそう納得した。</p><p><br></p><p>思っていたよりも、できていない自分。</p><p>そして、世界のレベルの高さ。</p><p>簡単には埋められない溝。</p><p>でも、それを知るためにここに来た。</p><p>悔しさよりも、清々しさがあった。</p><p>客席に回り、他の出場者の踊りを見る。</p><p>圧倒的な実力。</p><p><br></p><p>どのダンサーも強いパーソナリティで、</p><p>「わたしはここに居る！！」とステージ上から熱く語りかけ、心を揺さぶってくる。</p><p>ハイレベルな闘い、自己表現。</p><p>私には足りないものだらけで、</p><p>どこか遠い世界の出来事のように俯瞰して観ている自分がいた。</p><p><br></p><p>それでも、観客として純粋に、</p><p>素晴らしいパフォーマンスの数々に魅了されていた。</p><p><br></p><p>その中でも際立って、この人は優勝する、と確信できるダンサーがいた。</p><p>赤い衣装で、ドラマチックに、激しく熱くフラメンコフュージョンを踊った黒髪のロシア人ダンサー。</p><p><br></p><p>彼女が王冠を手にした。</p><p><br></p><p>私は心から彼女の優勝を讃えた。</p><p>そして去年ロンドンで一緒のステージで踊ったダンサー達と笑顔でお互いの頑張りを讃え合った。</p><p><br></p><p>ーこうして私のエストニアでのチャレンジは幕を閉じた。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>不思議と、悔しさや後悔はない。</p><p><br></p><p>ただダンスが好き、ダリナが好きという引力に引き寄せられた、様々な国籍のダンサーたち。</p><p>ダンスを通して自己表現し、自他ともに尊重し、讃えあう。</p><p>日本にいたら感じることのできない、この寛容でおおらかな空気。</p><p>この国の、このハイレベルなステージで踊れたこと。</p><p>チャレンジを諦めなかったこと。</p><p>去年ロンドンで出会ったダンサー達との再会。</p><p>楽屋での何気ないやりとり。</p><p>全てが私にとって、かけがえのない経験だった。</p><p><br></p><p>私は本当に、</p><p>こうして不自由な海外に出向いて踊ることが好きなのだ。</p><p>今、ここにいる事の悦びをかみしめていた。</p><p><br></p><p><br></p><p>雪道を歩き、バスでホテルに戻る。</p><p>エストニアの夜の景色。</p><p>霧、溶けた雪道、温度、色、匂い。</p><p>忘れられない景色になる。</p><p><br></p><p>帰り着き、どうしても今の気持ちを伝えたくて、ダリナにメールを書く。</p><p>ここまでの道のり。</p><p>今日感じたこと。</p><p>彼女の教えの答え合わせができたこと。</p><p>そして、言葉にできない感謝。</p><p>ー送信。</p><p>…その瞬間、糸が切れた。</p><p>私は倒れ込むように眠りに落ちた</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[エストニアの深夜〜コンペ当日の想い]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58644595/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/c25238c3a23f338935083e810f40c9a8_0937e89d18a5162383626a43298bc097.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58644595</id><summary><![CDATA[2026年2月27日。エストニア時間午前4:06分。私は今、エストニアのCity Hotel Tallinの部屋でこの記事を書いている。今日はコンペ当日の未明だ。散々なすったもんだの挙句、昨日はようやくタリン入り。フィンランドのヘンシンキ・ヴァンター国際空港から、プロペラ機でエストニア・タリンへ。相当疲れていたのか、狭い機内でぎゅうぎゅうな状態で座ったのは覚えているが、気付くと私はタリンに着陸していた。小さな飛行機のタラップを降り、水を含んだシャーベット状の雪が積もるアスファルトを空港建物まで歩いた。強風と雪。天気は荒れ模様だった。タリンの空港はこぢんまりとした可愛い雰囲気で、入るとすぐにカフェとスポーツジム、お土産屋さんが並んでいて、近所のイオンみたいな雰囲気。雰囲気に流され、一瞬スーツケースのピックアップを忘れそうになる程、空港っぽく見えない。荷物をピックアップして、空港ロビーへ。外は吹雪いている。ロシア人の団体が居て、ロシア語の会話が聞こえてくる。聞き慣れた言葉にちょっとだけホッとする。周りから聞こえてくるのはエストニア語、フィンランド語、中国語。どれもさっぱりわからない。知っている単語、発音出来る言葉が一つも無い軽い不安感。実は、事前に少しエストニア語を勉強しようと試みていたが、なんだかんだで忙しくて三日坊主になってしまった。結局、覚えているエストニア語は、こんにちは→Tereありがとう→Aitähたった2つだけだ。軽くお腹が空いていたので、ロビーのベンチに座り、日本から持参した大きなどら焼きを半分たべた。食べ終わってから、雪道の移動を考え、パソコンと衣装が入った重いリュックをスーツケースの中にひとまとめにして機動性を上げた。さぁ、この暴風雪の中、タクシーに乗らずにバスと徒歩でホテルまで移動だ。わたしは海外では殆どタクシーは使わない。出来るだけ現地の人のようにバスに乗り、歩いてその国の細かな景色や空気感を味わいたいのだ。不自由さはあっても、その感覚はその国をより深く体感する為のエッセンスのようなもので、私の海外旅行の醍醐味、楽しみの一つなのだ。細かな雪と強風が荒れ狂う暴風雪、バスの中の激しい揺れ、（日本には無い感じ）異国感満載の車窓の景色、カードタッチで乗る作法、（日本より緩い）、降りて歩く道々の中世の街並み、シャーベット状のべちゃべちゃのグレーの雪、凍った路面と水溜り、雨が服を濡らすけど、風で凍る感じ、凍ってて、掴むと逆に危ない階段の手すり、つららだらけの車、わかりづらいホテルの入り口とフロント、高い階段のエントランス。　悪天候の中、わざわざバスに乗り、重たいスーツケースを引きながらナビを片手にひたすら凸凹の雪道を歩いた。濡れるし滑るし、階段や道なき道もあり大変だった。途中、iPhoneの画面が濡れ、操作出来なくなって立ち止まったりもした。でも、タクシーで楽をすると味わえない、現地のナマの醍醐味を満喫できる。旅先の苦労は私のメンタルを鍛え、対応力と感性を磨いてくれる。…そうして何とかホテルの前に到着したのだが入り口が皆目分からない。予約したホテルと名前が違う。それ以前にこの入り口はオフィスなのか何か別の施設なのかわからない。重厚な扉と、昔ながらの高い階段のある入り口。しかも雪で凍っている。スーツケースを持ち上げるのも一苦労だ。…ただここで途方に暮れても、濡れるだけでどうにもならない。私はその扉を開け、中に入った。小さなロビーカウンターらしきものがあり、呼ぶとスタッフが出てきた。英語で、『今日から宿泊の予約をしているのですが、チェックインはここでいいですか？』と伝える。すると、パスポートを見せてくれと言われ、言われるままに差し出した。結果、ここで正解だった。カードキーを受け取り、『ホテルはこの建物の左側』と案内された。やはりナビが示したここは私が予約したホテルではなかった。イギリスの時と同じ展開だ。悪天候の中、何とかホテルに辿り着き、部屋で荷物を解く。このエストニア遠征の為に手に入れたsorelのスノーブーツとTHE NORTH FACEのロングダウンがいい仕事してくれた。ちっとも寒くないし、足も冷たくならないし、身体まで濡れない。現地の気候に合わせた装備の大切さを痛感した。ホテルのチェックイン時間は15:00だったが、13:00に入れてもらえたのは本当にラッキー。この悪天候の中、観光に行くのはどう考えてもリスキー。明日がコンペでないならそれも良しだが、コンペ前日にムリは禁物。私は日本から持参したカップ麺で身体を温め、空腹を満たした。少し休憩してから、徒歩10分程の所にあるスーパーへ。ヨーグルト、チーズ、黒パン、サラダ、水、お土産用の小さなお菓子を買った。全部で25€くらい。（日本円で4500円位）先程までの雨が止み、強い風でべちゃべちゃの雪が凍って路面はツルツルになっていた。ペンギン歩きで往復した。これも良い経験。ホテルに戻り、リュックにコンペ用の荷物を詰め、買ってきたサラダとチーズを黒パンに乗っけて食べた。美味しかった。ロシアに行った時もそうだったのだが、スラブ圏の黒パンとチーズ、ヨーグルトは本当に美味しい。こんなささやかな食事も、旅の大きな楽しみの一つ。食べたら急に身体が休息モードになり、そのまま夜中まで寝落ちしてしまった。そうして今、この記事を書いている。…いよいよ今日はコンペ当日。私に出来る唯一の事は、【エストニアで踊れる事を最大限に楽しむ】これだけだと思う。・失敗を恐れない・うまく踊ろうとしない（上手くないから無駄　笑）・音楽から感じる【感情】を見る人に届ける・そして何より、ここで踊れる自分自身を楽しむ！！もうそれでいいじゃないか。失敗してもそれはダメじゃない。今の自分の精一杯なんだから受け入れよう。失敗を恐れたり許せなかったりするからしんどいんだな、と思う。踊るって、自分の人生を生きる事であり、踊りはその【縮図】なんだと最近よく思う。良い時も悪い時も、喜びも悲しみも怒りも全て踊りの中に凝縮されている。だけど踊っている時の自分は、自分の別人格の双子みたいなもので、今このnoteを書いている私とはまた違った存在でもある。今、朝の5:01。さぁ、もう今日が始まっている。あと12時間後、私は会場に居る。ダリナとの再会を喜び、ハグしてるかもしれない。（去年のロンドンでの再会を思い出す）17:15、ステージで床の具合を確かめつつ、他の出場者と共にリハーサルをしている。中には去年ロンドンで友達になったダンサーも居る。同じカテゴリーで踊る彼女達との再会も楽しみだ。そして13.5時間後私は本番を終えている筈だ。限りある、特別な今日1日を楽しもう。例えうまくいかなくても、私は私のできる限りの事を準備してきた。エラーやバグは醍醐味だ。その都度訂正すればいい。どんな経験も今後の人生の為の栄養でしかないのだから。恐れずに、全て静かに受け入れよう。今日を最大限に楽しむ準備は出来ている。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-03-16T00:09:59+00:00</published><updated>2026-03-16T00:09:59+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>2026年2月27日。エストニア時間午前4:06分。私は今、エストニアのCity Hotel Tallinの部屋でこの記事を書いている。今日はコンペ当日の未明だ。</p><p><br></p><p>散々なすったもんだの挙句、昨日はようやくタリン入り。フィンランドのヘンシンキ・ヴァンター国際空港から、プロペラ機でエストニア・タリンへ。相当疲れていたのか、狭い機内でぎゅうぎゅうな状態で座ったのは覚えているが、気付くと私はタリンに着陸していた。</p><p><br></p><p>小さな飛行機のタラップを降り、水を含んだシャーベット状の雪が積もるアスファルトを空港建物まで歩いた。強風と雪。天気は荒れ模様だった。</p><p><br></p><p>タリンの空港はこぢんまりとした可愛い雰囲気で、入るとすぐにカフェとスポーツジム、お土産屋さんが並んでいて、近所のイオンみたいな雰囲気。雰囲気に流され、一瞬スーツケースのピックアップを忘れそうになる程、空港っぽく見えない。</p><p><br></p><p>荷物をピックアップして、空港ロビーへ。</p><p>外は吹雪いている。ロシア人の団体が居て、ロシア語の会話が聞こえてくる。聞き慣れた言葉にちょっとだけホッとする。</p><p><br></p><p>周りから聞こえてくるのはエストニア語、フィンランド語、中国語。どれもさっぱりわからない。知っている単語、発音出来る言葉が一つも無い軽い不安感。</p><p><br></p><p>実は、事前に少しエストニア語を勉強しようと試みていたが、なんだかんだで忙しくて三日坊主になってしまった。</p><p>結局、覚えているエストニア語は、</p><p>こんにちは→Tere</p><p>ありがとう→Aitäh</p><p>たった2つだけだ。</p><p><br></p><p>軽くお腹が空いていたので、ロビーのベンチに座り、日本から持参した大きなどら焼きを半分たべた。</p><p><br></p><p>食べ終わってから、雪道の移動を考え、パソコンと衣装が入った重いリュックをスーツケースの中にひとまとめにして機動性を上げた。さぁ、この暴風雪の中、タクシーに乗らずにバスと徒歩でホテルまで移動だ。</p><p><br></p><p>わたしは海外では殆どタクシーは使わない。</p><p>出来るだけ現地の人のようにバスに乗り、歩いてその国の細かな景色や空気感を味わいたいのだ。不自由さはあっても、その感覚はその国をより深く体感する為のエッセンスのようなもので、私の海外旅行の醍醐味、楽しみの一つなのだ。</p><p><br></p><p>細かな雪と強風が荒れ狂う暴風雪、</p><p>バスの中の激しい揺れ、（日本には無い感じ）</p><p>異国感満載の車窓の景色、</p><p>カードタッチで乗る作法、（日本より緩い）、</p><p>降りて歩く道々の中世の街並み、</p><p>シャーベット状のべちゃべちゃのグレーの雪、</p><p>凍った路面と水溜り、</p><p>雨が服を濡らすけど、風で凍る感じ、</p><p>凍ってて、掴むと逆に危ない階段の手すり、</p><p>つららだらけの車、</p><p>わかりづらいホテルの入り口とフロント、</p><p>高い階段のエントランス。　</p><p><br></p><p>悪天候の中、わざわざバスに乗り、重たいスーツケースを引きながらナビを片手にひたすら凸凹の雪道を歩いた。</p><p><br></p><p>濡れるし滑るし、階段や道なき道もあり大変だった。途中、iPhoneの画面が濡れ、操作出来なくなって立ち止まったりもした。</p><p><br></p><p>でも、タクシーで楽をすると味わえない、現地のナマの醍醐味を満喫できる。旅先の苦労は私のメンタルを鍛え、対応力と感性を磨いてくれる。</p><p><br></p><p>…そうして何とかホテルの前に到着したのだが入り口が皆目分からない。予約したホテルと名前が違う。それ以前にこの入り口はオフィスなのか何か別の施設なのかわからない。重厚な扉と、昔ながらの高い階段のある入り口。しかも雪で凍っている。スーツケースを持ち上げるのも一苦労だ。</p><p><br></p><p>…ただここで途方に暮れても、濡れるだけでどうにもならない。</p><p>私はその扉を開け、中に入った。</p><p><br></p><p>小さなロビーカウンターらしきものがあり、呼ぶとスタッフが出てきた。</p><p>英語で、</p><p>『今日から宿泊の予約をしているのですが、チェックインはここでいいですか？』と伝える。</p><p>すると、パスポートを見せてくれと言われ、言われるままに差し出した。結果、ここで正解だった。カードキーを受け取り、『ホテルはこの建物の左側』と案内された。やはりナビが示したここは私が予約したホテルではなかった。イギリスの時と同じ展開だ。</p><p><br></p><p>悪天候の中、何とかホテルに辿り着き、部屋で荷物を解く。このエストニア遠征の為に手に入れたsorelのスノーブーツとTHE NORTH FACEのロングダウンがいい仕事してくれた。ちっとも寒くないし、足も冷たくならないし、身体まで濡れない。現地の気候に合わせた装備の大切さを痛感した。</p><p><br></p><p>ホテルのチェックイン時間は15:00だったが、13:00に入れてもらえたのは本当にラッキー。この悪天候の中、観光に行くのはどう考えてもリスキー。</p><p><br></p><p>明日がコンペでないならそれも良しだが、コンペ前日にムリは禁物。私は日本から持参したカップ麺で身体を温め、空腹を満たした。</p><p><br></p><p>少し休憩してから、徒歩10分程の所にあるスーパーへ。ヨーグルト、チーズ、黒パン、サラダ、水、お土産用の小さなお菓子を買った。全部で25€くらい。（日本円で4500円位）</p><p>先程までの雨が止み、強い風でべちゃべちゃの雪が凍って路面はツルツルになっていた。ペンギン歩きで往復した。これも良い経験。</p><p><br></p><p>ホテルに戻り、リュックにコンペ用の荷物を詰め、買ってきたサラダとチーズを黒パンに乗っけて食べた。美味しかった。</p><p><br></p><p>ロシアに行った時もそうだったのだが、スラブ圏の黒パンとチーズ、ヨーグルトは本当に美味しい。こんなささやかな食事も、旅の大きな楽しみの一つ。食べたら急に身体が休息モードになり、そのまま夜中まで寝落ちしてしまった。そうして今、この記事を書いている。</p><p><br></p><p>…いよいよ今日はコンペ当日。</p><p>私に出来る唯一の事は、</p><p>【エストニアで踊れる事を最大限に楽しむ】</p><p>これだけだと思う。</p><p><br></p><p>・失敗を恐れない</p><p>・うまく踊ろうとしない（上手くないから無駄　笑）</p><p>・音楽から感じる【感情】を見る人に届ける</p><p>・そして何より、ここで踊れる自分自身を楽しむ！！</p><p>もうそれでいいじゃないか。</p><p><br></p><p>失敗してもそれはダメじゃない。今の自分の精一杯なんだから受け入れよう。失敗を恐れたり許せなかったりするからしんどいんだな、と思う。</p><p><br></p><p>踊るって、自分の人生を生きる事であり、踊りはその【縮図】なんだと最近よく思う。良い時も悪い時も、喜びも悲しみも怒りも全て踊りの中に凝縮されている。</p><p><br></p><p>だけど踊っている時の自分は、</p><p>自分の別人格の双子みたいなもので、</p><p>今このnoteを書いている私とはまた違った存在でもある。</p><p><br></p><p>今、朝の5:01。</p><p>さぁ、もう今日が始まっている。</p><p>あと12時間後、私は会場に居る。ダリナとの再会を喜び、ハグしてるかもしれない。（去年のロンドンでの再会を思い出す）</p><p><br></p><p>17:15、ステージで床の具合を確かめつつ、他の出場者と共にリハーサルをしている。中には去年ロンドンで友達になったダンサーも居る。同じカテゴリーで踊る彼女達との再会も楽しみだ。</p><p><br></p><p>そして13.5時間後</p><p>私は本番を終えている筈だ。</p><p><br></p><p>限りある、特別な今日1日を楽しもう。</p><p><br></p><p>例えうまくいかなくても、私は私のできる限りの事を準備してきた。エラーやバグは醍醐味だ。その都度訂正すればいい。どんな経験も今後の人生の為の栄養でしかないのだから。</p><p><br></p><p>恐れずに、全て静かに受け入れよう。</p><p>今日を最大限に楽しむ準備は出来ている。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[エストニア遠征大ピンチ④]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58643959/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/5c150cf4b203ce0cc4837378b0c64dd9_fd6060b5dc5792506ec4b4030a239be7.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58643959</id><summary><![CDATA[2026年2月25日、17:00。福岡空港到着。大事をとって、一本早めた関西国際空港行き。18:15発の便に乗る。（当初取っていた便より1時間45分早い出発）心の奥で『きっと、何とかなる。この茶番は旅を楽しむ為の前振りなのだ』と言い聞かせ続ける。お世話になっている方が、わざわざ見送りに来てくださった。こんな時なので余計、心強い。この時食べたカレーの味、きっと一生忘れない。（あごだしカレーの蒸し鶏のっけ）美味しかった。セキュリティをくぐり、ゲートへ。ほどなくして搭乗。定刻通りだ。が、搭乗しても一向に飛行機は動き出さない。空港の滑走路の混雑で、離陸ができないとの事。結局そのまま機内で30〜40分程待たされる。そしてメールに気付く。何と、私が当初乗る予定だった便が30分の遅延。遅延連絡のメールだ。もしこれに乗る事にしていたら…計算すると、絶対に間に合わない。通常の問題ない状態であったとしても、あの広い関空での搭乗→離陸→スーツケースのピックアップ→バスでターミナル間の移動→徒歩で国際線のゲートまで移動→航空会社カウンターに並ぶ→姓名取り違いの説明→現場の判断→セキュリティチェック→パスポートコントロール→搭乗ゲートへ移動これだけの内容を1時間半もしくは1時間以内に出来る事が想像出来ない。かなりの高確率で乗れない、置いてきぼり、間違い無いだろう。詰み、だ。だが私は【安心】を買っている。一本早い便のチケット。そして今、その便に乗っている。可能性は残っている。現場スタッフの方々の温かい判断に委ねる時間がある。今少し遅延していても、まだ時間に余裕があるのだ。20:05、関空到着。荷物のピックアップに少し時間が掛かったがまだ余裕。国際線のカウンターへ行く。長蛇の列。ドキドキしながら、列に並ぶ。30分以上は待っただろうか。いよいよここで、判断が下る。心臓は早く脈うち、身体からは嫌な汗。頭の中に何度も、職員さんとのやりとりのシュミレーションが浮かんでは消える。どうなるのだろう。どんなふうに対応されるのだろう。不安MAX、恐怖と緊張が全身に走る。そしてついに、自分の番が回ってきた。スーツケースをベルトコンベアーに置き、状況を説明する。一瞬困った顔をされ、『こちらでは名前の訂正ができませんが』と言われる。発券元のB社でなければ書き換えが出来ないそうだ。にわかに周囲の職員がざわつく。異様な雰囲気を感じ取ったのか、女性職員が駆け寄ってきて、対応して下さる事になり、スーツケースと共に、一旦ゲートの外へ連れて行かれた。彼女はB社に連絡を取ってくれ、状況を説明する。何やら不穏な雰囲気だ。私は待ちながら祈るような思いで見守った。なかなか判断が下りず、10分ほどそこで待機していた。緊張感と恐怖、ダメだった場合どうしよう？の感情がぐるぐると回りながら心をギュッとさせる。そしてようやく、彼女はカウンターから出てきて私の元に結果を伝えにきた。『…結論としましては、B社では名前の訂正が出来ません。購入したA社に権限があり…。ただ、今回の搭乗は可能です。帰りの便は保証出来ませんが、それでも良ければ…』つまり、今日の便には乗れる。ただし、帰りの便は現地の海外エアライン側のスタッフの判断に委ねられ、場合によっては新たなチケット購入が必要との事だ。とりあえず、助かった。全身の緊張が緩んだ。今日飛べれば、コンペやワークショップなどの予定をちゃんと消化する事が出来る。後の事は、その時に何とかすればいい。兎に角1番大切なのは、今日この便に乗る事なのだ。…A社の言う通りに、キャンセルしなくて良かった。半狂乱になって問い合わせまくったあの日、A社のオペレーターからキャンセルして買い直しを勧められたが、私は一縷の可能性に賭け、断った。そして今、その賭けに勝ったのだ。…『ありがとうございます。了承しました。今日この便に乗ります。帰りの便は、あちらでスタッフに確認してみます。』そう静かに伝えて、対応して下さった女性スタッフにお辞儀をした。搭乗を許可して下さったC社、B社のスタッフの皆様、本当にありがとうございます！！そんな訳で、盛大なすったもんだはあったものの、私は何とかエストニア行きの飛行機に乗る事が出来た。ちなみに今、早朝のフィンランド・ヘルシンキ・ヴァンター国際空港でこの記事を書いている。無事12時間半のフライトを終え、トランジットを経て今日の午前中には、エストニア・タリン入り出来る見込みだ。…こんなにも波瀾万丈の旅の幕開けが今まであっただろうか。これだから人生は面白い。無事乗れたから、言える事だけど。パスポートコントロールの現地職員との英語での会話。『旅の予定地と目的は？』『エストニアのタリンで開催されるベリーダンスのコンペティションに参加する為です』『どんなダンス？』『ご存知ですか？こう、お腹を使って踊るベリーダンス。アラビアの踊り。』『ああ、ベリーダンス！あなたは教師？それとも踊るの？』『今回私は踊る為に来ました』『ベリーダンスの国際コンペティションね。規模は大きいの？』『いえ、小さな規模のコンペティションですよ』『そっか…楽しんで！』着いていきなり、しかもパスポートコントロールでこんな会話になろうとは。担当してくれたのは、とてもフレンドリーなイケメンの職員さんだった。ゲートを潜って、私は『あぁ、踊る為にここまで来たんだなぁ』と静かに喜びを噛みしめた。ムーミンの国の空港で。あちこちにムーミンやニョロニョロが居て、ほっこりと心が和む。今日から始まるエストニアでの日々、どんな事が待ち受けているのか。どんな学びと出会いが始まるのか。とても、楽しみだ。外は真っ白、吹雪の朝。2026年、2月26日。私は今、北欧に居る。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-03-15T16:10:46+00:00</published><updated>2026-03-15T16:10:47+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>2026年2月25日、17:00。</p><p>福岡空港到着。</p><p><br></p><p>大事をとって、一本早めた関西国際空港行き。18:15発の便に乗る。（当初取っていた便より1時間45分早い出発）心の奥で『きっと、何とかなる。この茶番は旅を楽しむ為の前振りなのだ』と言い聞かせ続ける。</p><p><br></p><p>お世話になっている方が、わざわざ見送りに来てくださった。こんな時なので余計、心強い。この時食べたカレーの味、きっと一生忘れない。（あごだしカレーの蒸し鶏のっけ）美味しかった。</p><p><br></p><p>セキュリティをくぐり、ゲートへ。ほどなくして搭乗。定刻通りだ。</p><p><br></p><p>が、搭乗しても一向に飛行機は動き出さない。空港の滑走路の混雑で、離陸ができないとの事。結局そのまま機内で30〜40分程待たされる。そしてメールに気付く。</p><p>何と、私が当初乗る予定だった便が30分の遅延。遅延連絡のメールだ。もしこれに乗る事にしていたら…計算すると、絶対に間に合わない。</p><p><br></p><p>通常の問題ない状態であったとしても、</p><p>あの広い関空での</p><p>搭乗→離陸→スーツケースのピックアップ→バスでターミナル間の移動→徒歩で国際線のゲートまで移動→航空会社カウンターに並ぶ→姓名取り違いの説明→現場の判断→セキュリティチェック→パスポートコントロール→搭乗ゲートへ移動</p><p><br></p><p>これだけの内容を1時間半もしくは1時間以内に出来る事が想像出来ない。かなりの高確率で乗れない、置いてきぼり、間違い無いだろう。詰み、だ。</p><p><br></p><p>だが私は【安心】を買っている。</p><p>一本早い便のチケット。</p><p>そして今、その便に乗っている。</p><p><br></p><p>可能性は残っている。現場スタッフの方々の温かい判断に委ねる時間がある。今少し遅延していても、まだ時間に余裕があるのだ。</p><p><br></p><p>20:05、関空到着。</p><p><br></p><p>荷物のピックアップに少し時間が掛かったがまだ余裕。国際線のカウンターへ行く。長蛇の列。ドキドキしながら、列に並ぶ。30分以上は待っただろうか。いよいよここで、判断が下る。</p><p><br></p><p>心臓は早く脈うち、身体からは嫌な汗。</p><p>頭の中に何度も、職員さんとのやりとりのシュミレーションが浮かんでは消える。</p><p>どうなるのだろう。どんなふうに対応されるのだろう。不安MAX、恐怖と緊張が全身に走る。そしてついに、自分の番が回ってきた。</p><p><br></p><p>スーツケースをベルトコンベアーに置き、状況を説明する。一瞬困った顔をされ、『こちらでは名前の訂正ができませんが』と言われる。発券元のB社でなければ書き換えが出来ないそうだ。にわかに周囲の職員がざわつく。異様な雰囲気を感じ取ったのか、女性職員が駆け寄ってきて、対応して下さる事になり、スーツケースと共に、一旦ゲートの外へ連れて行かれた。</p><p><br></p><p>彼女はB社に連絡を取ってくれ、状況を説明する。何やら不穏な雰囲気だ。私は待ちながら祈るような思いで見守った。なかなか判断が下りず、10分ほどそこで待機していた。緊張感と恐怖、ダメだった場合どうしよう？の感情がぐるぐると回りながら心をギュッとさせる。</p><p><br></p><p>そしてようやく、彼女はカウンターから出てきて私の元に結果を伝えにきた。</p><p>『…結論としましては、B社では名前の訂正が出来ません。購入したA社に権限があり…。ただ、今回の搭乗は可能です。帰りの便は保証出来ませんが、それでも良ければ…』</p><p><br></p><p>つまり、今日の便には乗れる。</p><p>ただし、帰りの便は現地の海外エアライン側のスタッフの判断に委ねられ、場合によっては新たなチケット購入が必要との事だ。</p><p><br></p><p>とりあえず、助かった。</p><p>全身の緊張が緩んだ。</p><p><br></p><p>今日飛べれば、コンペやワークショップなどの予定をちゃんと消化する事が出来る。後の事は、その時に何とかすればいい。兎に角1番大切なのは、今日この便に乗る事なのだ。</p><p><br></p><p>…A社の言う通りに、キャンセルしなくて良かった。半狂乱になって問い合わせまくったあの日、A社のオペレーターからキャンセルして買い直しを勧められたが、私は一縷の可能性に賭け、断った。そして今、その賭けに勝ったのだ。</p><p><br></p><p>…『ありがとうございます。了承しました。今日この便に乗ります。帰りの便は、あちらでスタッフに確認してみます。』</p><p>そう静かに伝えて、対応して下さった女性スタッフにお辞儀をした。搭乗を許可して下さったC社、B社のスタッフの皆様、本当にありがとうございます！！</p><p><br></p><p>そんな訳で、盛大なすったもんだはあったものの、私は何とかエストニア行きの飛行機に乗る事が出来た。ちなみに今、早朝のフィンランド・ヘルシンキ・ヴァンター国際空港でこの記事を書いている。</p><p><br></p><p>無事12時間半のフライトを終え、</p><p>トランジットを経て今日の午前中には、エストニア・タリン入り出来る見込みだ。</p><p>…こんなにも波瀾万丈の旅の幕開けが今まであっただろうか。</p><p><br></p><p>これだから人生は面白い。</p><p>無事乗れたから、言える事だけど。</p><p><br></p><p>パスポートコントロールの現地職員との英語での会話。</p><p>『旅の予定地と目的は？』</p><p>『エストニアのタリンで開催されるベリーダンスのコンペティションに参加する為です』</p><p>『どんなダンス？』</p><p>『ご存知ですか？こう、お腹を使って踊るベリーダンス。アラビアの踊り。』</p><p>『ああ、ベリーダンス！あなたは教師？それとも踊るの？』</p><p>『今回私は踊る為に来ました』</p><p>『ベリーダンスの国際コンペティションね。規模は大きいの？』</p><p>『いえ、小さな規模のコンペティションですよ』</p><p>『そっか…楽しんで！』</p><p><br></p><p>着いていきなり、しかもパスポートコントロールでこんな会話になろうとは。担当してくれたのは、とてもフレンドリーなイケメンの職員さんだった。</p><p><br></p><p>ゲートを潜って、</p><p>私は『あぁ、踊る為にここまで来たんだなぁ』と静かに喜びを噛みしめた。ムーミンの国の空港で。あちこちにムーミンやニョロニョロが居て、ほっこりと心が和む。</p><p><br></p><p>今日から始まるエストニアでの日々、どんな事が待ち受けているのか。どんな学びと出会いが始まるのか。とても、楽しみだ。</p><p><br></p><p>外は真っ白、吹雪の朝。2026年、2月26日。</p><p>私は今、北欧に居る。</p><p><br></p>
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			<p>エストニア渡航当日。</p><p>とは言え、確実に行けるかどうかは未確定。運を天に任せるしかないお手上げ状態だ。</p><p>やれることは全てやった。代理店A社、エアラインB社、エアラインC社。各社への連絡、事情説明、嘆願。だが何処からも受け入れられず、『キャンセルして買い直してくれ』の一点張り。規約では名前の姓名取り違えはNG、受付は出来ないとの事。エアラインカウンターでの交渉に一縷の望みを賭ける。</p><p><br></p><p>2026年2月25日。</p><p>6:00に起き、最後の朝練に行く。</p><p>外は昨夜から土砂降りの雨が続いていて、薄暗く湿っている。まるで今の私の心模様そのものだ。</p><p><br></p><p>今回、自分の踊りの根幹の、弱い部分のやり直しを試みていたが、（ダリナからのアドバイスがきっかけで、コンペの3週間間から）当然ながら長年の癖を矯正する事はとても難しく、短時間でそれ程変わるものではない。よって今の私の踊りは著しく未完、不安定。お見せできる状態ではない。</p><p><br></p><p>だがこれが現実。今の私の精一杯だろう。</p><p>いつでも完璧は無い。</p><p><br></p><p>より良く変わろうとする努力と、日々の変化を敏感に受け入れ、学び続けるプロセスが大切なのだと思う。</p><p>だとしたら今回のチャレンジは、今の不安定さは、きっと先へと繋がる良い学びと、今後の変化への兆しだと信じたい。</p><p><br></p><p>帰宅し、パッキングの続きをやる。</p><p><br></p><p>もたつき、捗らない。</p><p>出したり入れたり、どこに何を置いたか分からなくなったり、明らかにいつもと違う感覚。当日になっても行けるかどうかわからない不安とストレス、コンペの緊張、寝不足。色々な要因が私の中でざわざわと絡み合っているせいかもしれない。</p><p><br></p><p>荷造りを終えて、トーストとサラダとスムージーで昼食。昨日からお腹を壊している。軽いものを少しずつしか食べられない。</p><p><br></p><p>食事が済んだら、動画を撮った。今のこの状況をTikTokに残しておく。リアルな私のドタバタ喜劇。本当に自分のうつけ者っぷりに呆れて、ガッカリを通り越して笑いが出てくる。</p><p><br></p><p>夕方の早い時間に空港へ。</p><p>バス、地下鉄で移動。雨は止んで、曇り空。風が強い。</p><p>福岡空港から関西国際空港へ。</p><p><br></p><p>もともと最終便を取っていたが、乗り継ぎまで2時間半という国際線にしてはややタイトなスケジュールだったので、大事をとって行きだけ再度、一本早い便を買い直した。渡航4日前、ギリギリでの判断だった。</p><p><br></p><p>通常のわたしなら『2時間半あれば何とかいける』と思うところだが、今回はそれがすごく危険な気がして、保険のつもりで【心の余裕】を買った。その直後、この姓名とりちがえが判明。</p><p><br></p><p>この変更が</p><p>カウンターでのチケット名変更を訴える時間を生む時間に繋がったから、私グッジョブ。時間がなければアウトの確率が更に濃厚になっていただろう。</p><p><br></p><p>…後になり、この選択が今回の渡航の運命を大きく変える事になった事を、改めて知ることになる。</p><p><br></p><p>本当にこの時、便を変えなければ。</p><p>勿体無いからと、当初の予約を優先していたらと思うと。</p><p>今思い返しただけでも背筋が凍りつきゾッとする。</p><p><br></p><p>④へと続く</p><p><br></p>
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			<p>2026年2月25日　早朝6時30分。</p><p>今日はいよいよ、エストニアに立つ日だ。</p><p><br></p><p>昨日からの土砂降り。</p><p>気温は高いはずなのに、肌寒い。</p><p>気分のせいかもしれないが、体の芯が冷えている。</p><p><br></p><p>今朝も雨が降っている。</p><p>朝の景色はどんよりと薄暗く、車が多い。</p><p>私は最後の朝練に向かっている。</p><p><br></p><p>正直に言えば、</p><p>今日、本当に飛行機に乗れるのかどうか、その恐怖がまだ体の奥にある。</p><p><br></p><p>昨日のnoteで、</p><p>何があっても行く、と書いた。</p><p>その決意に揺らぎはない。</p><p><br></p><p>けれど、恐怖や緊張のようなものが、指先、足先からじわじわと私を凍らせていく。</p><p>手も足も冷たい。</p><p>昨日からずっとお腹の調子も壊している。</p><p>それに加えて、練習で左肩甲骨の奥と右膝裏の筋を痛めた。</p><p>その痛みへの不安も、静かに居座っている。</p><p>コンペに向かう緊張もあるのだろう。</p><p><br></p><p>けれど今回はそれ以前に、「飛行機に乗れるかどうかわからない」という不安がある。</p><p>カウンターで何を言うかを頭の中で何度も反芻する。</p><p><br></p><p>もし乗れなかったらどうしよう。</p><p>キャンセルになり、さらに全額支払いが加算されたらどうしよう。</p><p>本来ならしなくていいはずの心配が、</p><p>心を押し潰そうとしてくる。</p><p><br></p><p>雨のせいかもしれない。</p><p>暗いから、気持ちも沈むのかもしれない。</p><p><br></p><p>でも、事実として、</p><p>私は今日、福岡から関西国際空港へ向かうその切符しか持っていない。</p><p>それ以外の選択肢はない。</p><p><br></p><p>恐怖を打ち消そうとすればするほど、</p><p>逆に締めつけられる。</p><p>感じないふりをすると、</p><p>さらに強くなる。</p><p><br></p><p>だから、この恐怖心も、この得体の知れない不安も、すべて私の感情だ。</p><p><br></p><p>そうなんだ。</p><p>そうなのだ。</p><p><br></p><p>仕方ない。</p><p><br></p><p>怖いことは悪いことではない。</p><p>恐れも不安も、悪いことではない。</p><p>それらすべてが、人生の醍醐味なのだ。</p><p><br></p><p>映画やドラマに出てくるスリルやサスペンスのように、</p><p>これはきっと、人生のスパイスなのだ。</p><p><br></p><p>……そうやって私は、自分を騙し騙し、感情を受け入れようとしている。</p><p>受け入れて、共存していくしかない。</p><p><br></p><p>何が起ころうとも受け入れて、</p><p>その上で自分の人生を楽しんでいくしかないのだ。</p><p><br></p><p>今日、一本早い便に取り直したのは最善の選択だった。</p><p>あの決断がなければ、私は完全に詰んでいた。</p><p>あのとき動いた自分に、グッジョブ。</p><p><br></p><p>まだカードは残っている。</p><p><br></p><p>あとは運を天に任せて、このスリルを味わえばいい。</p><p>強がってみても、恐怖心は一ミリたりとも和らがないけれど。</p><p><br></p><p>それでも。</p><p><br></p><p>終わってみて、</p><p>「こんなことがあったんだよ」と笑えるような、</p><p>そんなエストニアと私の物語になればいい。</p><p><br></p><p>さあ。</p><p>今日から。</p><p>今日から、エストニアの旅は始まる</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[エストニア遠征大ピンチ①]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58584773/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/dc6fc5bd00fc7c4002f3e31e4aeb04c9_add0f204143eef49e769d1135fe52661.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58584773</id><summary><![CDATA[渡航を目前に控えたある日、私は完全に闇に落ちていた。フライトチケットの姓名が逆になっているという、まさかの初歩的な痛恨のミス。その修正をしようとした瞬間、私は迷宮に迷い込んだ。今回のチケットは少し複雑だった。販売名義はA社。実際に運航するのはB社。そして予約・発券はC社（旅行代理店）。「売った会社」「飛ばす会社」「予約を管理する会社」がそれぞれ別。名前の修正をお願いすると、A社は「発券元のC社へ」と言い、C社は「運航会社のB社へ」と言い、B社は「予約元へ」と言う。三つのホームページを何度もぐるぐると往復させられ、そのたびに疲弊し、状況は一歩も進んでいないのに、心だけがすり減っていった。まるで悪夢だ。探しているものが、どうしても見つからない。行きたいところに、どうしても辿り着けない。夢の中で味わう、あの焦りと無力感。じっとりとした不安が体を包む。私はホームページを行き来しながら、これは悪い夢なのではないか、と何度も思った。目が覚めれば、すべて解決しているのではないかと。けれどこの無限ループ地獄は現実で、時間だけが無慈悲に進んでいた。…あぁ、パッキングも全然できていない。練習動画も確認したいのに。なんで私は今、こんなことをしているのだろう。問い合わせ、検索、電話、保留音。また検索、また電話。チャット、メール。繋がらない苛立ち、待たされる不安。恐怖と焦りが、じわじわと心を侵食していった。血の気が引く。吐き気と頭痛がする。絶望と自己嫌悪が混ざり合い、私は深い闇の底へ引きずり込まれるような感覚に陥った。もうエストニアには行けない。もう何もかも終わりだ。本気で、そう思っていた。⸻夜、先輩から電話があった。ベリーダンスとは無関係の人だ。ただ話を聞いてくれて、黙ってうなずいてくれて、「大変だね」と言ってくれた。この方は私の練習を見に来てくれたり、別のジャンルのスポーツ視点からアドバイスをくださっていた方だ。見守っていてくださる存在の寄り添いは、何よりも安心をもたらす。話しているうちに心が落ち着き、混乱が少しずつ整理されていった。追い詰められていた気持ちがゆるみ、やがて決心が静かに固まっていった。私は気づいた。もし名前の変更ができなかったとしても、私は行く。⸻この遠征のために、ワークショップを取り、個人レッスンを取り、コンペの権利を取り、ずっと準備してきた。ホテルも予約した。福岡から大阪までの航空チケットも、1.5往復分買っている。これをすべて放り投げて、こんなしょうもないミスを理由にやめるなんて、できるわけがない。もちろん金銭的負担は大きい。十数万円の増額は、目の前が暗くなるほど恐ろしい。けれど長い人生で考えたとき、その十数万円よりも、エストニアで経験する時間の方が、私にとっては遥かに大きな財産になる。人生、経験してなんぼだ。それに、忙しい中で長いビデオレターを送ってくれた、心から尊敬するダリナ。彼女に踊りで感謝を伝えるために。さらに多くを学ぶために。こんなことで、この機会をむざむざ手放すわけにはいかない。そうして私は決めた。たとえ変更ができなくても、私は行く。⸻ギリギリすぎる乗り継ぎ時間への不安から、私は大阪行きの片道フライトを追加で購入していた。あのときは、ただ「安心を買う」つもりだった。けれどそれが、今回のトラブルを解決するための“時間”になるのかもしれない。もし乗り継ぎ時間がギリギリのままだったら、完全に詰んでいた。一縷の望みを託せるだけの時間が、私には残されていたのだ。もしそうだとしたら、なんてドラマチックで、なんて皮肉で、なんて面白い展開だろう。これはきっと、私だけのドタバタ映画。わたしのドタバタ劇場【エストニア編】、どうやら開演早々、波乱含みらしい。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-02-26T13:07:56+00:00</published><updated>2026-02-26T13:07:56+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>渡航を目前に控えたある日、私は完全に闇に落ちていた。</p><p>フライトチケットの姓名が逆になっているという、まさかの初歩的な痛恨のミス。</p><p>その修正をしようとした瞬間、私は迷宮に迷い込んだ。</p><p><br></p><p>今回のチケットは少し複雑だった。</p><p><br></p><p>販売名義はA社。</p><p>実際に運航するのはB社。</p><p>そして予約・発券はC社（旅行代理店）。</p><p>「売った会社」「飛ばす会社」「予約を管理する会社」がそれぞれ別。</p><p><br></p><p>名前の修正をお願いすると、</p><p>A社は「発券元のC社へ」と言い、</p><p>C社は「運航会社のB社へ」と言い、</p><p>B社は「予約元へ」と言う。</p><p>三つのホームページを何度もぐるぐると往復させられ、そのたびに疲弊し、状況は一歩も進んでいないのに、心だけがすり減っていった。</p><p><br></p><p>まるで悪夢だ。</p><p><br></p><p>探しているものが、どうしても見つからない。</p><p>行きたいところに、どうしても辿り着けない。</p><p>夢の中で味わう、あの焦りと無力感。</p><p>じっとりとした不安が体を包む。</p><p><br></p><p>私はホームページを行き来しながら、</p><p>これは悪い夢なのではないか、と何度も思った。</p><p>目が覚めれば、すべて解決しているのではないかと。</p><p>けれどこの無限ループ地獄は現実で、時間だけが無慈悲に進んでいた。</p><p><br></p><p>…あぁ、パッキングも全然できていない。</p><p>練習動画も確認したいのに。</p><p>なんで私は今、こんなことをしているのだろう。</p><p><br></p><p>問い合わせ、検索、電話、保留音。</p><p>また検索、また電話。チャット、メール。</p><p>繋がらない苛立ち、待たされる不安。</p><p>恐怖と焦りが、じわじわと心を侵食していった。</p><p>血の気が引く。吐き気と頭痛がする。</p><p>絶望と自己嫌悪が混ざり合い、私は深い闇の底へ引きずり込まれるような感覚に陥った。</p><p><br></p><p>もうエストニアには行けない。</p><p>もう何もかも終わりだ。</p><p>本気で、そう思っていた。</p><p><br></p><p>⸻</p><p><br></p><p>夜、先輩から電話があった。</p><p>ベリーダンスとは無関係の人だ。</p><p>ただ話を聞いてくれて、黙ってうなずいてくれて、「大変だね」と言ってくれた。</p><p>この方は私の練習を見に来てくれたり、別のジャンルのスポーツ視点からアドバイスをくださっていた方だ。</p><p><br></p><p>見守っていてくださる存在の寄り添いは、何よりも安心をもたらす。</p><p>話しているうちに心が落ち着き、</p><p>混乱が少しずつ整理されていった。</p><p>追い詰められていた気持ちがゆるみ、</p><p>やがて決心が静かに固まっていった。</p><p><br></p><p>私は気づいた。</p><p>もし名前の変更ができなかったとしても、</p><p>私は行く。</p><p><br></p><p>⸻</p><p><br></p><p>この遠征のために、</p><p>ワークショップを取り、</p><p>個人レッスンを取り、</p><p>コンペの権利を取り、</p><p>ずっと準備してきた。</p><p>ホテルも予約した。</p><p>福岡から大阪までの航空チケットも、1.5往復分買っている。</p><p><br></p><p>これをすべて放り投げて、</p><p>こんなしょうもないミスを理由にやめるなんて、できるわけがない。</p><p><br></p><p>もちろん金銭的負担は大きい。</p><p>十数万円の増額は、目の前が暗くなるほど恐ろしい。</p><p><br></p><p>けれど長い人生で考えたとき、</p><p>その十数万円よりも、エストニアで経験する時間の方が、私にとっては遥かに大きな財産になる。</p><p><br></p><p>人生、経験してなんぼだ。</p><p><br></p><p>それに、忙しい中で長いビデオレターを送ってくれた、心から尊敬するダリナ。</p><p>彼女に踊りで感謝を伝えるために。</p><p>さらに多くを学ぶために。</p><p>こんなことで、この機会をむざむざ手放すわけにはいかない。</p><p><br></p><p>そうして私は決めた。</p><p>たとえ変更ができなくても、私は行く。</p><p><br></p><p>⸻</p><p><br></p><p>ギリギリすぎる乗り継ぎ時間への不安から、私は大阪行きの片道フライトを追加で購入していた。</p><p><br></p><p>あのときは、ただ「安心を買う」つもりだった。</p><p><br></p><p>けれどそれが、今回のトラブルを解決するための“時間”になるのかもしれない。</p><p>もし乗り継ぎ時間がギリギリのままだったら、完全に詰んでいた。</p><p>一縷の望みを託せるだけの時間が、私には残されていたのだ。</p><p><br></p><p>もしそうだとしたら、</p><p>なんてドラマチックで、なんて皮肉で、なんて面白い展開だろう。</p><p><br></p><p>これはきっと、私だけのドタバタ映画。</p><p>わたしのドタバタ劇場【エストニア編】、</p><p><br></p><p>どうやら開演早々、波乱含みらしい。</p><p><br></p>
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			<p>私が見る夢には、いくつかのシリーズがある。</p><p>幼い頃から、折々に繰り返し現れる夢たちだ。</p><p><br></p><p>ひとつは、トイレの夢。</p><p>トイレを探している。やっと見つけても、狭すぎたり、人が並びすぎていたり、仕切りがなかったり、水浸しだったり、ガラス張りだったり。</p><p>決まって安心して使えない。</p><p>何かが足りないか、何かがおかしい。</p><p>不快さと焦りを抱えたまま、目が覚める。</p><p><br></p><p>次に、青い水の夢。</p><p>セピア色の世界の中で、ただ一箇所だけ、鮮やかな青い水がある。</p><p>海だったり湖だったり、狭い水場だったり。</p><p>あまりに美しくて、近づきたくなる。触れたい、写真に撮りたいと思う。</p><p>だが、いつも何かが起こり、触れられないまま終わる。</p><p>夢の中で、「前もこうだった」と思い出している自分がいる。</p><p><br></p><p>それに似た、極彩色の虹の夢。</p><p>空いっぱいに広がる、毒々しいほど鮮やかなねじれた虹。</p><p>なんとか記録しようとするが、シャッターが切れない。</p><p>映らない。</p><p>そうしているうちに消えてしまう。</p><p>これもまた、前にも見た夢だと夢の中で思い出している。</p><p><br></p><p>そして、空を飛ぶ夢。</p><p>雲に乗ったり、傘でふわりと跳ねたり、グライダーのように滑空したり、翼のようなもので地面すれすれを飛んだり。</p><p>高さも方法も毎回違う。</p><p>だが、不思議なほどリアルで、夢らしさが薄い。</p><p>飛んでいる感覚だけは、確かにそこにある。</p><p><br></p><p>舞台の夢もある。</p><p>幕が開くのに、何を踊るのかわからない。</p><p>振付を知らない。衣装がない。靴がない。</p><p>急かされ、青ざめ、震えている。</p><p>出なければならないのに、準備ができていない。</p><p>目が覚めると、ぐったりと疲れている。</p><p>そして「ああ、夢でよかった」とつぶやく。</p><p><br></p><p>最後に、テストの夢。</p><p>数学の試験。公式を覚えていない。</p><p>証明問題の意味がわからない。</p><p>何一つ解けない。</p><p>この試験をパスできなければ留年する、という焦燥感。</p><p>学生時代から繰り返し見る悪夢だ。</p><p><br></p><p>ほかにも夢はあるが、主なものはこの五つ。</p><p>夢の中で私は、以前の夢を思い出している。</p><p>現実では忘れていても、夢の中では「またこれだ」と気づく。</p><p>目が覚めるたび、</p><p>夢でよかったと思う。</p><p><br></p><p>このシリーズは、まだまだ続くのだろうか。</p><p>そして、なぜ続くのだろう。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[混沌]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58566885/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/857f7c3a32547df2dc40a58569fb018d_372ceb51b9c9934230697052d9bcc0c3.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58566885</id><summary><![CDATA[いよいよ来週にコンペが迫ってきた。一番大切なこの時期なのに、私は何一つ体得できていないままだ。いただいたアドバイスを体現しようと、毎朝鏡の前に立つ。以前のやり方に引きずられながら、なんとか落とし込もうと試行錯誤する。けれど、動きはどんどん悪くなる。昔のやり方に、新しく試した感覚が混ざり、ちぐはぐになり、まとまりを失う。踊りとしての完成度は、むしろ下がっていくように感じる。この状態でコンペに臨まなければならないことが、とても苦しい。正直、今は逃げ出したい。三年間、朝練を続けてきて、こんなふうに弱音を吐いたことはなかった。「やめたい」「やりたくない」と口にしたのは、今回が初めてかもしれない。あまりにも、自分の根幹に関わる部分をやり直そうとしているからだろうか。できない、やれない、という思いが先行する。自分では試行錯誤を繰り返し、やろうとしている。いや、やっているつもりだった。けれど傍から見れば、「何も変わっていない」「やっていないだけ」と映るらしい。やってないだけ。そう言われるたび、理解が追いつかず、心がフリーズする。やっているのに、やっていないだけ。これは“やっているつもり”なのだろうか。混乱し、さらに動けなくなる。人間の脳は変化を嫌うという。かつて、変化は命に関わる危機だった。だから脳は、現状維持を選ぶ。今のままでいる方が安全なのだ。もし変化が本能的な恐怖なのだとしたら、私は今、命を脅かされるような感覚の中に立っているのだろうか。この脳のトリガーさえ外せば、「やっていない」を卒業できるのだろうか。けれど時間がない。練習できる時間は、あと数時間しかない。たった数時間で、長年できずに苦しんできたことを体感できるのだろうか。そして、それを踊りの中で使いこなせるのだろうか。混沌と、迷いと、苛立ちと、失望。さまざまな感情が入り乱れている。コンペまで、あと１週間を切った。それでも私は、安全な踊りに戻ることを選ばなかった。完成された形で立つことよりも、未完成でも、変わろうとしている踊りで立つことを選びたいと思っている。できるかどうかはわからない。けれど、変わろうとしている。今はそれだけが、確かなことだ。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-02-21T02:10:12+00:00</published><updated>2026-02-21T02:10:33+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>いよいよ来週にコンペが迫ってきた。</p><p>一番大切なこの時期なのに、私は何一つ体得できていないままだ。</p><p><br></p><p>いただいたアドバイスを体現しようと、毎朝鏡の前に立つ。</p><p>以前のやり方に引きずられながら、なんとか落とし込もうと試行錯誤する。</p><p>けれど、動きはどんどん悪くなる。</p><p>昔のやり方に、新しく試した感覚が混ざり、ちぐはぐになり、まとまりを失う。</p><p>踊りとしての完成度は、むしろ下がっていくように感じる。</p><p>この状態でコンペに臨まなければならないことが、とても苦しい。</p><p>正直、今は逃げ出したい。</p><p><br></p><p>三年間、朝練を続けてきて、こんなふうに弱音を吐いたことはなかった。</p><p>「やめたい」「やりたくない」と口にしたのは、今回が初めてかもしれない。</p><p>あまりにも、自分の根幹に関わる部分をやり直そうとしているからだろうか。</p><p><br></p><p>できない、やれない、という思いが先行する。</p><p>自分では試行錯誤を繰り返し、やろうとしている。</p><p>いや、やっているつもりだった。</p><p><br></p><p>けれど傍から見れば、「何も変わっていない」「やっていないだけ」と映るらしい。</p><p>やってないだけ。</p><p>そう言われるたび、理解が追いつかず、心がフリーズする。</p><p><br></p><p><br></p><p>やっているのに、やっていないだけ。</p><p><br></p><p><br></p><p>これは“やっているつもり”なのだろうか。</p><p>混乱し、さらに動けなくなる。</p><p>人間の脳は変化を嫌うという。</p><p>かつて、変化は命に関わる危機だった。</p><p>だから脳は、現状維持を選ぶ。今のままでいる方が安全なのだ。</p><p><br></p><p>もし変化が本能的な恐怖なのだとしたら、</p><p>私は今、命を脅かされるような感覚の中に立っているのだろうか。</p><p>この脳のトリガーさえ外せば、「やっていない」を卒業できるのだろうか。</p><p>けれど時間がない。</p><p>練習できる時間は、あと数時間しかない。</p><p>たった数時間で、長年できずに苦しんできたことを体感できるのだろうか。</p><p>そして、それを踊りの中で使いこなせるのだろうか。</p><p><br></p><p>混沌と、迷いと、苛立ちと、失望。</p><p>さまざまな感情が入り乱れている。</p><p><br></p><p>コンペまで、あと１週間を切った。</p><p>それでも私は、安全な踊りに戻ることを選ばなかった。</p><p><br></p><p>完成された形で立つことよりも、</p><p>未完成でも、変わろうとしている踊りで立つことを選びたいと思っている。</p><p><br></p><p>できるかどうかはわからない。</p><p>けれど、変わろうとしている。</p><p>今はそれだけが、確かなことだ。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[白い花の記憶①]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58566854/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/58b311a96d871326cfb3dce172353ebe_6f00d4bf6960a1667cf8bec47606c346.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58566854</id><summary><![CDATA[二月になると、いつも思い出す花がある。祖母の家の裏庭に生えていた、小さな白い梅の木だ。当時の私からすれば、とてつもなく大きな木だった。けれど今思い起こすと、その木は細く、ごつごつとしていて、どこか華奢な印象だ。この時期になると、ひっそりと白い花を咲かせていた。まだ物心がつくかつかないかの私は、庭に出てもその花にすぐには気づかない。視界よりもずっと上に咲いているからだ。けれど、香りはちゃんと届いていた。春の土の匂い、草の匂い、お日様の匂いに混じって、やわらかな甘い香りが漂ってくる。その出どころを探そうと、きょろきょろと辺りを見渡す。そうしてようやく、梅の花が咲いていることに気づくのだ。小さな丸い花びらが五枚。ちょこんと寄り添うように咲く、可憐な花。決して派手ではない。目を引く華やかさもない。けれど、冬とせめぎ合う浅い春のなかで、そっと香りを運んでくれるその姿が、私は大好きだった。祖母の家の庭は、当時の私にとって世界そのものだった。やがて祖母は一人で暮らすことが難しくなり、母と叔母が代わるがわる面倒を見るようになった。そして家は手放されることになった。家がなくなってから、ずいぶん時間が経つ。それでも私の記憶の中では、あの家の記憶が生き生きと息づいていて、事あるごとにふと思い出す。例えば、こんな二月の晴れた日。冬から春へ移り変わる空の色を見たとき。懐かしい匂い、色、景色、光。私は五感をフルに感じながら、あの庭で毎日遊んでいた。冬枯れた土からそっと顔を出す蕗の薹、ナズナ、ひよこ草の白と黄緑。オオイヌノフグリの深い水色。小さな花々を見ると喜びに似たふんわりと暖かな感情が上がってくる。今でもその感覚を思い出す。…大人になってずいぶん経ってから祖母が亡くなった後だが、私はあの家の跡地を何度か訪れた。最初に訪れたときは、家こそなくなっていたが、土地はそのままあって、梅の木も残っていた。訪れた時期が夏だったので、花を見ることはできなかったが、相変わらずごつごつして華奢で、懐かしい佇まいを私に見せてくれた。二回目に訪れたときも、更地になっていたが、梅の木は残っていてくれた。ただ行って一瞬眺めるだけなのだが、そこにいてくれるだけでとてもほっとしたのを覚えている。だけど三回目に訪れたときには、木は切り倒され、駐車場になってしまっていた。この時の喪失感と言ったら、言葉にできないほどかなしい気持ちになってしまった。梅の木は幼い頃に遊んだ祖母の家の記憶であり、祖母との思い出であり、幼かった私が見た景色…世界そのものだったからだ。何かとても大切なものが壊れてしまったようで、しばらく途方に暮れてしまった。けれど今、私は思う。人は大切なものを思い出すとき、記憶の中の何かがトリガーとなり、それが今現在の何かと重なったとき一気に過去の時空へとつながるのではないだろうか。まるでタイムマシンのように。ワームホールのように。匂い。光。音。空気の温度。そして、白い梅の花。ほんの小さなきっかけで、遠いはずの時間が突然今と重なり、とてつもなく懐かしく、かけがえのない感情を呼び覚ます。梅の木も祖母の家も、もうこの世にはない。それでも私は、二月になると必ず、道々で白い梅の木を探してしまう。ふと視界の端に白い花を見つけると、胸の奥が少しだけほどける。嬉しくて、懐かしくて、ほんの少しだけ、あの庭に帰った気持ちになるのだ。失ったのではなく、きっと自分の中に溶け込んで、今でもいきいきと生き続けている。白い梅は毎年どこかで咲いている。そして私は、その花を見つけるたびに、過去と今がそっと重なる瞬間を味わっている。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-02-21T01:58:53+00:00</published><updated>2026-02-21T01:58:53+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>二月になると、いつも思い出す花がある。</p><p>祖母の家の裏庭に生えていた、小さな白い梅の木だ。</p><p>当時の私からすれば、とてつもなく大きな木だった。</p><p><br></p><p>けれど今思い起こすと、その木は細く、ごつごつとしていて、どこか華奢な印象だ。</p><p>この時期になると、ひっそりと白い花を咲かせていた。</p><p><br></p><p>まだ物心がつくかつかないかの私は、庭に出てもその花にすぐには気づかない。</p><p>視界よりもずっと上に咲いているからだ。</p><p>けれど、香りはちゃんと届いていた。</p><p><br></p><p>春の土の匂い、草の匂い、お日様の匂いに混じって、</p><p>やわらかな甘い香りが漂ってくる。</p><p>その出どころを探そうと、きょろきょろと辺りを見渡す。</p><p>そうしてようやく、梅の花が咲いていることに気づくのだ。</p><p>小さな丸い花びらが五枚。</p><p>ちょこんと寄り添うように咲く、可憐な花。</p><p><br></p><p>決して派手ではない。</p><p>目を引く華やかさもない。</p><p><br></p><p>けれど、冬とせめぎ合う浅い春のなかで、</p><p>そっと香りを運んでくれるその姿が、私は大好きだった。</p><p>祖母の家の庭は、当時の私にとって世界そのものだった。</p><p><br></p><p>やがて祖母は一人で暮らすことが難しくなり、</p><p>母と叔母が代わるがわる面倒を見るようになった。</p><p>そして家は手放されることになった。</p><p><br></p><p>家がなくなってから、ずいぶん時間が経つ。</p><p>それでも私の記憶の中では、あの家の記憶が生き生きと息づいていて、事あるごとにふと思い出す。</p><p><br></p><p>例えば、こんな二月の晴れた日。</p><p>冬から春へ移り変わる空の色を見たとき。</p><p><br></p><p>懐かしい匂い、色、景色、光。</p><p><br></p><p>私は五感をフルに感じながら、あの庭で毎日遊んでいた。冬枯れた土からそっと顔を出す蕗の薹、ナズナ、ひよこ草の白と黄緑。オオイヌノフグリの深い水色。小さな花々を見ると喜びに似たふんわりと暖かな感情が上がってくる。今でもその感覚を思い出す。</p><p><br></p><p>…大人になってずいぶん経ってから</p><p>祖母が亡くなった後だが、</p><p>私はあの家の跡地を何度か訪れた。</p><p>最初に訪れたときは、家こそなくなっていたが、土地はそのままあって、梅の木も残っていた。</p><p>訪れた時期が夏だったので、花を見ることはできなかったが、相変わらずごつごつして華奢で、懐かしい佇まいを私に見せてくれた。<br></p><p><br></p><p>二回目に訪れたときも、更地になっていたが、梅の木は残っていてくれた。</p><p>ただ行って一瞬眺めるだけなのだが、そこにいてくれるだけでとてもほっとしたのを覚えている。</p><p><br></p><p>だけど三回目に訪れたときには、木は切り倒され、駐車場になってしまっていた。</p><p>この時の喪失感と言ったら、言葉にできないほどかなしい気持ちになってしまった。</p><p>梅の木は幼い頃に遊んだ祖母の家の記憶であり、祖母との思い出であり、</p><p>幼かった私が見た景色…世界そのものだったからだ。</p><p>何かとても大切なものが壊れてしまったようで、しばらく途方に暮れてしまった。<br></p><p><br></p><p>けれど今、私は思う。</p><p><br></p><p>人は大切なものを思い出すとき、記憶の中の何かがトリガーとなり、それが今現在の何かと重なったとき一気に過去の時空へとつながるのではないだろうか。</p><p>まるでタイムマシンのように。ワームホールのように。</p><p><br></p><p>匂い。</p><p>光。</p><p>音。</p><p>空気の温度。</p><p>そして、白い梅の花。</p><p><br></p><p>ほんの小さなきっかけで、遠いはずの時間が突然今と重なり、</p><p>とてつもなく懐かしく、かけがえのない感情を呼び覚ます。</p><p><br></p><p>梅の木も祖母の家も、もうこの世にはない。</p><p><br></p><p>それでも私は、二月になると必ず、道々で白い梅の木を探してしまう。</p><p>ふと視界の端に白い花を見つけると、</p><p>胸の奥が少しだけほどける。</p><p><br></p><p>嬉しくて、懐かしくて、</p><p>ほんの少しだけ、あの庭に帰った気持ちになるのだ。</p><p><br></p><p>失ったのではなく、</p><p>きっと自分の中に溶け込んで、今でもいきいきと生き続けている。</p><p><br></p><p>白い梅は毎年どこかで咲いている。</p><p>そして私は、その花を見つけるたびに、</p><p>過去と今がそっと重なる瞬間を味わっている。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[好き嫌いと正しさの違い〜オリンピックを観て思うこと]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58560667/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/c3d5cf297a685b2d70507dc46b2d9f90_50d477a63dee033024c6107ce0dfe6a0.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58560667</id><summary><![CDATA[2026年2月。イタリアで開催されているミラノ・コルティナ冬季オリンピックは、連日大きな話題となっている。冬季オリンピックといえば、花形はフィギュアスケート。そして日本が世界に誇るスノーボード。時差があるにもかかわらず、多くの人が寝不足の目をこすりながら画面に向かい、選手たちの活躍に一喜一憂している。劇的な逆転、歴史的快挙。そのたびに私たちは胸を熱くし、惜しみない称賛を送る。その光景は、確かに美しい。けれど私は、ときどきその熱狂に、かすかな恐ろしさを感じる。ある選手が祭り上げられ、神格化されること。そして、ほんの小さなきっかけから、一斉に批判の矛先が向けられること。今回、フィギュアスケートのペア競技では、木原龍一選手と三浦璃来選手が、ペア競技において日本人として初の金メダルという快挙を成し遂げた。ショートプログラムで出遅れながらも、フリーで世界最高得点を叩き出しての逆転優勝。逆境を乗り越えて、2人が創り上げた世界は誰もが称えるべき、感動の、圧巻の演技だった。それにもかかわらず、容姿や姿形への中傷、性格への憶測、過去の映像や記事の掘り起こし。さらには、関係のない過去のメダリストにまで飛び火し、比較し、断片的に切り取って攻撃し傷つける声まで現れる。報道されるのは、あくまで一部だ。切り取られた場面や、誰かの主観的な証言だけで、その人の人格を断定することはできないはずだ。オリンピックの舞台に立つということは、想像を絶する年月を積み重ねてきたということだ。極限まで自分を追い込み、結果を出し続け、ようやくたどり着いた場所。その覚悟に向かって、なぜそこまで無遠慮な言葉を投げられるのだろう。また、女子シングルでは、坂本花織選手が団体戦で銀メダル獲得に大きく貢献した。リンクを大きく使うダイナミックなスケーティングと、のびのびとした表現。彼女の滑りには、チームを背負う強さと明るさと安定感があった。私は、坂本花織選手のくったくのない明るい笑顔が大好きだ。あの笑顔には、長年の努力と覚悟を乗り越えてきた人だけが持つ強さと、人懐こい温かさがあるように感じる。その存在感は、日本チームにとってかけがえのないもので、確かな支えだったはずだ。それでも、演技とは関係のない容姿への批判や、「なぜトリプルアクセルに挑戦しないのか」「なぜこれで高得点が出るのか」といった声が相次いでいるのを目にした。リスクを取るのか、完成度を高めるのか。その選択は選手それぞれの戦略であり、自分の身体やキャリアと向き合った上での判断だ。リンクの外から無責任に難易度だけを求めることは簡単だが、その一つ一つの決断の裏には、長年の積み重ねと覚悟がある。常々、私が思うことがある。こうした批判の多くは、結局のところ「自分の好み」や「自分の感情」を最優先にしているのではないかということだ。好みや感情は大切だ。誰にでもある。けれど、それはあくまで個人の内側にあるものだ。自分の好き嫌いが、いつの間にか「正しさ」にすり替わり、正義であるかのように振りかざされるとき、言葉は簡単に刃になる。「私はこう感じた」ことと、「だからあなたは間違っている」は、本来まったく別の話だ。人間だから、好みはある。感情もある。だが、それは正義ではない。集団の中に入ると、人は強くなる。「みんなが言っている」という空気は、個人の責任感を薄れさせる。正義の側に立っているという感覚は、ときに言葉を鋭くする。熱狂は人を温めもするが、同時に誰かを傷つける力にもなる。私は、その渦の中で自分がどう在りたいかを考える。感動するときは、ただ感動する。称えるときは、ただ称える。違和感を覚えたら、立ち止まる。そして何より、自分自身もまた、無意識のうちにその流れに飲み込まれていないかと問い続けたい。正義という名の安心感に寄りかかり、誰かを簡単に断じていないか。誰かを持ち上げることも、誰かを引きずり下ろすことも、同じエネルギーの裏返しなのだとしたら。せめて私は、そのエネルギーを温かい方向に使いたい。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-02-19T01:04:26+00:00</published><updated>2026-02-19T01:04:26+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p><br></p><p>2026年2月。</p><p>イタリアで開催されているミラノ・コルティナ冬季オリンピックは、連日大きな話題となっている。</p><p>冬季オリンピックといえば、花形はフィギュアスケート。そして日本が世界に誇るスノーボード。</p><p>時差があるにもかかわらず、多くの人が寝不足の目をこすりながら画面に向かい、選手たちの活躍に一喜一憂している。</p><p><br></p><p>劇的な逆転、歴史的快挙。</p><p>そのたびに私たちは胸を熱くし、惜しみない称賛を送る。</p><p>その光景は、確かに美しい。</p><p><br></p><p>けれど私は、ときどきその熱狂に、かすかな恐ろしさを感じる。</p><p>ある選手が祭り上げられ、神格化されること。</p><p>そして、ほんの小さなきっかけから、一斉に批判の矛先が向けられること。</p><p><br></p><p>今回、フィギュアスケートのペア競技では、</p><p>木原龍一選手と三浦璃来選手が、ペア競技において日本人として初の金メダルという快挙を成し遂げた。</p><p>ショートプログラムで出遅れながらも、フリーで世界最高得点を叩き出しての逆転優勝。</p><p>逆境を乗り越えて、2人が創り上げた世界は誰もが称えるべき、感動の、圧巻の演技だった。</p><p>それにもかかわらず、容姿や姿形への中傷、性格への憶測、過去の映像や記事の掘り起こし。</p><p>さらには、関係のない過去のメダリストにまで飛び火し、比較し、断片的に切り取って攻撃し傷つける声まで現れる。</p><p><br></p><p>報道されるのは、あくまで一部だ。</p><p>切り取られた場面や、誰かの主観的な証言だけで、その人の人格を断定することはできないはずだ。</p><p><br></p><p>オリンピックの舞台に立つということは、想像を絶する年月を積み重ねてきたということだ。</p><p>極限まで自分を追い込み、結果を出し続け、ようやくたどり着いた場所。</p><p>その覚悟に向かって、なぜそこまで無遠慮な言葉を投げられるのだろう。</p><p><br></p><p>また、女子シングルでは、</p><p>坂本花織選手が団体戦で銀メダル獲得に大きく貢献した。</p><p>リンクを大きく使うダイナミックなスケーティングと、のびのびとした表現。</p><p>彼女の滑りには、チームを背負う強さと明るさと安定感があった。</p><p>私は、坂本花織選手のくったくのない明るい笑顔が大好きだ。あの笑顔には、長年の努力と覚悟を乗り越えてきた人だけが持つ強さと、人懐こい温かさがあるように感じる。</p><p>その存在感は、日本チームにとってかけがえのないもので、確かな支えだったはずだ。</p><p><br></p><p>それでも、演技とは関係のない容姿への批判や、</p><p>「なぜトリプルアクセルに挑戦しないのか」「なぜこれで高得点が出るのか」といった声が相次いでいるのを目にした。</p><p>リスクを取るのか、完成度を高めるのか。</p><p>その選択は選手それぞれの戦略であり、自分の身体やキャリアと向き合った上での判断だ。</p><p>リンクの外から無責任に難易度だけを求めることは簡単だが、その一つ一つの決断の裏には、長年の積み重ねと覚悟がある。</p><p><br></p><p>常々、私が思うことがある。</p><p><br></p><p>こうした批判の多くは、結局のところ「自分の好み」や「自分の感情」を最優先にしているのではないかということだ。</p><p>好みや感情は大切だ。</p><p>誰にでもある。</p><p>けれど、それはあくまで個人の内側にあるものだ。</p><p>自分の好き嫌いが、いつの間にか「正しさ」にすり替わり、</p><p>正義であるかのように振りかざされるとき、言葉は簡単に刃になる。</p><p><br></p><p>「私はこう感じた」ことと、</p><p>「だからあなたは間違っている」は、本来まったく別の話だ。</p><p>人間だから、好みはある。</p><p>感情もある。</p><p>だが、それは正義ではない。</p><p><br></p><p>集団の中に入ると、人は強くなる。</p><p>「みんなが言っている」という空気は、個人の責任感を薄れさせる。</p><p>正義の側に立っているという感覚は、ときに言葉を鋭くする。</p><p>熱狂は人を温めもするが、同時に誰かを傷つける力にもなる。</p><p>私は、その渦の中で自分がどう在りたいかを考える。</p><p><br></p><p>感動するときは、ただ感動する。</p><p>称えるときは、ただ称える。</p><p>違和感を覚えたら、立ち止まる。</p><p>そして何より、自分自身もまた、無意識のうちにその流れに飲み込まれていないかと問い続けたい。</p><p><br></p><p>正義という名の安心感に寄りかかり、誰かを簡単に断じていないか。</p><p>誰かを持ち上げることも、誰かを引きずり下ろすことも、</p><p>同じエネルギーの裏返しなのだとしたら。</p><p>せめて私は、そのエネルギーを温かい方向に使いたい。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[食べることとの向き合い方]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58560274/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/0ae6023a54dc2360cc8b9edb874aafc2_72022c127be979266be8aec4fc4c460e.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58560274</id><summary><![CDATA[最近、noteではコンペ前の心情や朝練のことばかり綴っているせいか、私はとてつもなくストイックな人間だと思われているような気がする。だが実は、そうではない。私は根性なしの豆腐メンタルで、自分に甘々の人間だ。あまりにもストイックだと誤解されると、正直、少し困ってしまう。だから今日は、ストイックとは真逆のことを書いてみようと思う。私は、食べることが好きだ。とはいえ、美味しいものを追い求めるタイプではない。正直に言えば、かなり無頓着だ。サラダチキンが1か月続いても、たぶん平気。一人のご飯は、大根おろしと納豆があれば十分。そこに、手作りの大根漬け。シーチキンに醤油を少しかけたもの。ゆず胡椒のふりかけや、しそ昆布。それだけで、静かに満足できる。その一方で、ポテトチップスの大袋やアルフォートを平気で開けるし、マックのダブルチーズバーガーとポテトのセットも好きだ。辛ラーメンばかり食べる週もある。かと思えば、野菜ばかり食べている時もある。食べたいものを、食べたいだけ。面倒な時は、簡単なもので済ませる。美味しさよりも、とにかく量で満たされたい日もある。食に対して細心の注意を払い、体に良いものを選び、徹底した管理をしている――そんなイメージを持たれがちだが、実際はその対極にいる。それでも人前に立つと、必ず聞かれる。「いつも何を食べていらっしゃるんですか？」「体型維持のために、かなり気をつけているんですよね？」そのたびに、そんなことはないです、と答える。けれど、あまり信じてもらえない。ありがたいことではある。でも同時に、どこか恐れ多く、恐縮してしまう。私の本質は、恐らく初対面でのイメージとはずいぶん違う。ストイックではないし、食に対して強いこだわりもない。質素なものを地味に食べて、食欲を満たしている人間だ。だけど。ひとつだけ、大切にしていることがある。それは、「誰と食べるか」だ。基本的に私は一人で行動するのが好きだ。一人なら、自分の欲望に任せて好きなものを好きなだけ食べればいい。でも、本当に一握りの大切な人たちと囲む食卓は、私にとって最大の楽しみだ。何を食べるかよりも、その人と一緒に食事をすることが楽しい。たとえまずいものを食べてしまっても、その時は少し悲しくなるかもしれないが、後から「あの時のあれ、まずかったよね」と笑い合える。そんな何気ない日常を重ねていくことが、私にとって何よりの生きがいのひとつだ。ストイックでなくてもいい。完璧な食事管理をしていなくてもいい。ある程度の節制を持って生きていれば、体型も健康も保てる。そして何より、大切な人と笑いながら囲む食卓こそが、私にとっていちばんの栄養なのだと思う。何を食べるかよりも、誰と食べるか。それが、私の本当の食事。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-02-18T21:29:02+00:00</published><updated>2026-02-18T21:29:02+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>最近、noteではコンペ前の心情や朝練のことばかり綴っているせいか、私はとてつもなくストイックな人間だと思われているような気がする。</p><p><br></p><p>だが実は、そうではない。</p><p><br></p><p>私は根性なしの豆腐メンタルで、自分に甘々の人間だ。</p><p>あまりにもストイックだと誤解されると、正直、少し困ってしまう。</p><p>だから今日は、ストイックとは真逆のことを書いてみようと思う。</p><p><br></p><p>私は、食べることが好きだ。</p><p>とはいえ、美味しいものを追い求めるタイプではない。</p><p>正直に言えば、かなり無頓着だ。</p><p><br></p><p>サラダチキンが1か月続いても、たぶん平気。</p><p>一人のご飯は、大根おろしと納豆があれば十分。</p><p>そこに、手作りの大根漬け。</p><p>シーチキンに醤油を少しかけたもの。</p><p>ゆず胡椒のふりかけや、しそ昆布。</p><p>それだけで、静かに満足できる。</p><p><br></p><p>その一方で、ポテトチップスの大袋やアルフォートを平気で開けるし、</p><p>マックのダブルチーズバーガーとポテトのセットも好きだ。</p><p>辛ラーメンばかり食べる週もある。</p><p>かと思えば、野菜ばかり食べている時もある。</p><p><br></p><p>食べたいものを、食べたいだけ。</p><p>面倒な時は、簡単なもので済ませる。</p><p>美味しさよりも、とにかく量で満たされたい日もある。</p><p>食に対して細心の注意を払い、体に良いものを選び、徹底した管理をしている――</p><p>そんなイメージを持たれがちだが、実際はその対極にいる。</p><p><br></p><p>それでも人前に立つと、必ず聞かれる。</p><p>「いつも何を食べていらっしゃるんですか？」</p><p>「体型維持のために、かなり気をつけているんですよね？」</p><p>そのたびに、そんなことはないです、と答える。</p><p>けれど、あまり信じてもらえない。</p><p><br></p><p>ありがたいことではある。</p><p>でも同時に、どこか恐れ多く、恐縮してしまう。</p><p>私の本質は、恐らく初対面でのイメージとはずいぶん違う。</p><p>ストイックではないし、</p><p>食に対して強いこだわりもない。</p><p>質素なものを地味に食べて、食欲を満たしている人間だ。</p><p><br></p><p>だけど。</p><p>ひとつだけ、大切にしていることがある。</p><p>それは、「誰と食べるか」だ。</p><p><br></p><p>基本的に私は一人で行動するのが好きだ。</p><p>一人なら、自分の欲望に任せて好きなものを好きなだけ食べればいい。</p><p>でも、本当に一握りの大切な人たちと囲む食卓は、私にとって最大の楽しみだ。</p><p><br></p><p>何を食べるかよりも、</p><p>その人と一緒に食事をすることが楽しい。</p><p><br></p><p>たとえまずいものを食べてしまっても、</p><p>その時は少し悲しくなるかもしれないが、</p><p>後から「あの時のあれ、まずかったよね」と笑い合える。</p><p><br></p><p>そんな何気ない日常を重ねていくことが、</p><p>私にとって何よりの生きがいのひとつだ。</p><p><br></p><p>ストイックでなくてもいい。</p><p>完璧な食事管理をしていなくてもいい。</p><p>ある程度の節制を持って生きていれば、体型も健康も保てる。</p><p><br></p><p>そして何より、</p><p>大切な人と笑いながら囲む食卓こそが、</p><p>私にとっていちばんの栄養なのだと思う。</p><p>何を食べるかよりも、誰と食べるか。</p><p>それが、私の本当の食事。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[一般社団法人日本ベリーダンス連盟さまのHPに掲載されました]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58558352/"></link><link rel="enclosure" type="image/png" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/4ac9f9b19d37cf6a295fccac9546c494_3912ba784a11ded641fbf4b446f624f0.png"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58558352</id><summary><![CDATA[この度、一般社団法人 日本ベリーダンス連盟さまのホームページに、プロフィールを掲載していただきました。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-02-18T06:02:10+00:00</published><updated>2026-02-18T06:02:10+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>この度、</p><p>一般社団法人 日本ベリーダンス連盟さまのホームページに、プロフィールを掲載していただきました。</p>
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		<a href="https://japanbellydance.com/dancer/rira/">
			<img src="https://japanbellydance.com/wordpress/wp-content/uploads/2026/01/0136f0854ca925061a56d75fbab85a56-scaled.jpeg" width="100%">
			<small><b>Rira - 一般社団法人日本ベリーダンス連盟</b></small>
			<br>
			<small>一般社団法人
日本ベリーダンス連盟</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p>今回プロフィールを掲載していただいた</p><p>一般社団法人日本ベリーダンス連盟さま は、</p><p>ベリーダンスの健全な普及と発展を目的に活動している団体です。</p><p>ダンサーの育成や技術向上だけでなく、</p><p>ベリーダンスの文化的背景や本質を大切にしながら、</p><p>国内外の架け橋となるような活動をされています。</p><p>こうしてここに紹介していただけることを、とても光栄に思っています。</p><p><br></p><p><br></p><p>ベリーダンスは技術だけでなく、踊る人の人生や呼吸、感性や時間が深く滲み出る踊りだと感じています。</p><p><br></p><p>これからも学びを止めず、<br></p><p>自分の踊りを磨きながら、</p><p>自分が感じる、この世界の美しさや感情を伝えられるダンサーでありたいと思います。</p><p><br></p><p>引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。</p><p>感謝を込めて。</p><p><br></p><p><br></p><p>Rira</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/4ac9f9b19d37cf6a295fccac9546c494_3912ba784a11ded641fbf4b446f624f0.png?width=960" width="100%">
		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[主語は、いつも自分。覚悟を持ち、そのように思考し、振る舞う事]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58558317/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/9a2373a6aa63b76b1b55b18f52a78144_ce754ad0da8f972fec842845d4db305c.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58558317</id><summary><![CDATA[今朝の練習で、あまりにも出来なさすぎて、思わず口に出た。「もうやめたい」「こんな事してなんになるの」3年、朝練を続けてきて、こんな言葉が出たのは初めてかもしれない。それだけ、悔しかった。それだけ、本気だった。⸻時間は誰にでも平等に流れている。でも、何に優先順位をつけ、何を選び、何を手放すかで、人生の振付はまったく違うものになる。目先の出来事や周囲の声に振り回されず、自分がどんな未来に立ちたいのかを決める。舞台に立つ前に、「どんな自分でそこに立つのか」を決めるように。⸻「こうなる」と決める。未来の自分の視点から今の自分を見ると、足りないものがはっきりと見える。技術かもしれない。身体の強さかもしれない。表現の深さかもしれない。出来ない自分に絶望するのは、理想が高いから。距離が見えたから苦しいだけ。でもその距離は、進もうとしている証でもある。⸻時間は過去から未来へ流れているようで、本当は未来の自分が今を引っ張っているのかもしれない。明確なビジョンを持ち続けていれば、必要な経験は必ず与えられる。思い通りにいかない日も、呼吸が乱れる日も、アクセントが決まらない日も、全部、振付の一部。細かなディテールが崩れても、残るのは「経験」という財産。学ぶ姿勢があれば、すべては自分の糧になる。⸻他人と比べない。比べるのは、昨日の自分。昨日より少しだけ重心が落ちたか。昨日よりほんの少しだけ呼吸が深くなったか。そして、「足るを知る」。すでに持っているものに気づきながら、それでもなお、磨き続ける。⸻どんなに不甲斐ないと感じる日があっても、自分の人生の主役は自分だ。これは、困難に打ち勝ちながら自己成長する主人公が、大切な人たちとの関わりの中で目標を叶え、ハッピーな生涯を生き抜く物語。今が望まない現実に見えても、それは過去の選択の延長線上にあるだけ。間違えたら、選び直せばいい。失敗から学べば、それは身体に刻まれ、新たな血肉となり、自分の経験と人生が味わい深く、豊かになる。ダンサーの身体が、日々の鍛錬で強くしなやかに磨き上げられるように。泡沫の人生の、ひとときの戯れ。そう思えば今のこの落ち込みなど取るに足らない。人生の深みを増す為の、ほんのひとつまみのスパイスのようなものなのだ。※『時間は誰にでも平等に流れている』以下の文は過去の自分のblogより引用、加筆校正をして再度note公開としました。今日の練習で絶望した自分を励ます為に。タイトルの、『主語は、いつも自分。覚悟を持ち、そのように思考し、振る舞う事』は、過去にわたしの人生を導き、沢山の学びと気付きを与えてくれたメンターの言葉を、自分なりに表してみたものを使用しました。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2026-02-18T05:47:29+00:00</published><updated>2026-02-18T05:47:30+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>今朝の練習で、</p><p>あまりにも出来なさすぎて、思わず口に出た。</p><p>「もうやめたい」</p><p>「こんな事してなんになるの」</p><p>3年、朝練を続けてきて、</p><p>こんな言葉が出たのは初めてかもしれない。</p><p>それだけ、悔しかった。</p><p>それだけ、本気だった。</p><p>⸻</p><p>時間は誰にでも平等に流れている。</p><p>でも、何に優先順位をつけ、</p><p>何を選び、何を手放すかで、</p><p>人生の振付はまったく違うものになる。</p><p>目先の出来事や周囲の声に振り回されず、</p><p>自分がどんな未来に立ちたいのかを決める。</p><p>舞台に立つ前に、</p><p>「どんな自分でそこに立つのか」を決めるように。</p><p>⸻</p><p>「こうなる」と決める。</p><p>未来の自分の視点から今の自分を見ると、</p><p>足りないものがはっきりと見える。</p><p>技術かもしれない。</p><p>身体の強さかもしれない。</p><p>表現の深さかもしれない。</p><p>出来ない自分に絶望するのは、</p><p>理想が高いから。</p><p>距離が見えたから苦しいだけ。</p><p>でもその距離は、</p><p>進もうとしている証でもある。</p><p>⸻</p><p>時間は過去から未来へ流れているようで、</p><p>本当は未来の自分が今を引っ張っているのかもしれない。</p><p>明確なビジョンを持ち続けていれば、</p><p>必要な経験は必ず与えられる。</p><p>思い通りにいかない日も、</p><p>呼吸が乱れる日も、</p><p>アクセントが決まらない日も、</p><p>全部、振付の一部。</p><p>細かなディテールが崩れても、</p><p>残るのは「経験」という財産。</p><p>学ぶ姿勢があれば、</p><p>すべては自分の糧になる。</p><p>⸻</p><p>他人と比べない。</p><p>比べるのは、昨日の自分。</p><p>昨日より少しだけ重心が落ちたか。</p><p>昨日よりほんの少しだけ呼吸が深くなったか。</p><p>そして、「足るを知る」。</p><p>すでに持っているものに気づきながら、</p><p>それでもなお、磨き続ける。</p><p>⸻</p><p>どんなに不甲斐ないと感じる日があっても、</p><p>自分の人生の主役は自分だ。</p><p>これは、</p><p>困難に打ち勝ちながら自己成長する主人公が、</p><p>大切な人たちとの関わりの中で目標を叶え、</p><p>ハッピーな生涯を生き抜く物語。</p><p>今が望まない現実に見えても、</p><p>それは過去の選択の延長線上にあるだけ。</p><p>間違えたら、選び直せばいい。</p><p>失敗から学べば、それは身体に刻まれ、新たな血肉となり、自分の経験と人生が味わい深く、豊かになる。</p><p><br></p><p>ダンサーの身体が、</p><p>日々の鍛錬で強くしなやかに磨き上げられるように。</p><p><br></p><p>泡沫の人生の、ひとときの戯れ。</p><p>そう思えば今のこの落ち込みなど取るに足らない。人生の深みを増す為の、ほんのひとつまみのスパイスのようなものなのだ。</p><p><br></p><p>※『時間は誰にでも平等に流れている』以下の文は過去の自分のblogより引用、加筆校正をして再度note公開としました。今日の練習で絶望した自分を励ます為に。</p><p>タイトルの、『主語は、いつも自分。覚悟を持ち、そのように思考し、振る舞う事』は、過去にわたしの人生を導き、沢山の学びと気付きを与えてくれたメンターの言葉を、自分なりに表してみたものを使用しました。</p><p><br></p><p><br></p>
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			<p>土台は、定期的に壊さなければならない。<br></p><p>そう気づいたのは、コンペまで残り2週間の今だった。</p><p>わたしは今年最大の挑戦を前に、基礎からやり直している。</p><p>それも、間に合わないと分かりながら。</p><p>それでも、やると決めた。</p><p>⸻</p><p>2026年になって、あっという間に1か月と10日が過ぎた。ミラノオリンピックも始まり、季節は冬の底から春へ向かおうとしている。夜の始まりが、少しずつ遅くなっていく。</p><p>あと2週間後、わたしはエストニアへ渡航し、ベリーダンスの国際コンペティション、プロフェッショナル部門に出場する。</p><p><br></p><p>本来ならこの時期、踊りの仕上げに入り、踊り込みながら精度を上げる反復練習を重ねているべきだ。けれど現実のわたしは、基礎の基礎——重心の位置、膝や足首の使い方にまだ苦戦している。</p><p><br></p><p>チャレンジを選ぶことに躊躇はない。</p><p>ただ、期限が迫ると毎回思う。</p><p>なぜ、わざわざ苦しくて逃げ出したくなる道を選んでしまうのだろう、と。</p><p>ただステージで踊るだけなら、きっと楽しめる。以前はそうだった。</p><p>「楽しかった」</p><p>「お客様が喜んでくださって良かった」</p><p>趣味としてなら、それで充分だった。</p><p>踊ることは本来、楽しみであり、喜びであり、快楽だ。好きなことを楽しむ。それだけでいいはずなのに、なぜかわたしはそれでは満たされない。</p><p>自分の踊りを何度も反芻し、「その時点」での選択が最善だったかを何度もシミュレーションしてしまう。</p><p><br></p><p>・曲と振付のチョイスは場にふさわしかったか</p><p>・練習は充分だったか</p><p>・衣装と振付・音楽は合っていたか</p><p>・当日の感情の流れや動きの導線に整合性はあったか</p><p><br></p><p>動画を何度も見返しては、深く落ち込む。</p><p><br></p><p>なぜわたしの踊りはこうなのだろう。ダメなところばかりが際立ち、心がざわつく。</p><p>日々のルーティンと化した朝練を重ねてきたこの3年間、わたしは自分の「持ち味」を活かすことに特化してきた。ターンや表現、ウクライナスタイルのオリエンタル、和の音楽、さまざまなジャンルでの即興、ファンベールを使った振付。</p><p>過去の映像を見ると、当時のわたしは今よりずっと拙い。それでも、できなかったことができるようになり、動きも少しずつ滑らかになってきた実感はある。</p><p><br></p><p>だけど、コンペとなると話は別だ。</p><p><br></p><p>自分なりの表現やダンススタイルは、必ずしも評価項目に噛み合わない。ショーを意識した踊り方が、コンペという「評価の場」にふさわしいとは限らない（少なくとも、わたしの場合は）。</p><p><br></p><p>今のままでは、参加の意図すら曖昧なほど、ジャッジ項目とかけ離れた独りよがりの踊りをしているに過ぎない。</p><p>だからこの渡航を機に、一度徹底的に壊し、土台を作り直す必要があった。</p><p><br></p><p>気づかぬまま積み重ねた練習は、癖をさらに強固にし、焦げつきのように残っていた。自分では「踊っているつもり」だったけれど、実際には少しも踊れていなかった。</p><p>2週間ほど前、わたしの師である世界的ダンサーからビデオレターが届いた。そこには根本的な間違いがいくつも指摘されていた。</p><p>さらに、異ジャンルのスポーツ指導者からも「重心」という観点で鋭いアドバイスをいただいた。ベリーダンスを始めた頃から今に至るまでの大きな課題を、別の角度から見透かされた。</p><p><br></p><p>この2つの言葉は、わたしが積み重ねてきた「得意を伸ばす」という方向性を、土台から覆す力になった。</p><p><br></p><p>基礎は、定期的に見直し、必要なら壊して再建しなければならない。古い土台の上に新しい構造を重ねても、どこかに歪みが生じる。</p><p>わたしの不安定さや音楽とのズレは、この土台の脆弱さの現れだった。</p><p>コンペまでに修正は間に合わない。新しいやり方を試せば、ちぐはぐになるだろう。</p><p>それでも、自分本位な踊りを続けるより、ぎくしゃくしていても基本に忠実であろうとする未完の踊りを選びたい。未来につながるのは、きっと後者だ。</p><p><br></p><p>コンペで勝ちたい気持ちはある。順位を知れば悔しさも湧く。それは人間として自然な感情だ。</p><p>だけど今は、「足るを知る」。</p><p>このコンペは、自分の踊りともう一度きちんと向き合うための機会だ。</p><p>極限の緊張の中で踊り、その踊りに評価をいただくために、わたしはエストニアへ行く。</p><p>明日も早朝から基礎のやり直しだ。</p><p><br></p><p>ただ立つ。</p><p>ただ重心を移動する。</p><p>それだけのことが、今のわたしには難しい。</p><p>落ち込む。苦しい。投げ出したくなる。</p><p>それでも、朝練を始めた頃に誓った。</p><p><br></p><p>自分の身体が続く限り、真摯に踊りと向き合うと。</p><p>言い訳はしない。</p><p>ただ前を向く。</p><p>未完の踊りを持って、エストニアへ行く。</p><p><br></p>
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宗像市三郎丸5-2-24 🎵プログラム🎵 第一部 能智和子&コールリリアス 第二部 松元拓士カルテット  出演 亀崎奈津美（サックス） 松元拓士（ピアノ） 森山陽介（テューバ） 柴田楓（フルート） 友情出演
元木晴夫（ドラム）
古武秀雄（ベース） ダンス
Rira ※入場無料 ※事前お申し込みが必要 ※スリッパが必要な方はご持参ください]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2025-12-12T00:46:50+00:00</published><updated>2025-12-12T00:46:51+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>【宗像・赤間西コミュニティセンター 🎄クリスマスコンサート】&nbsp;</p><p>&nbsp;こちらのコンサートに急遽出演させていただく事になりました🥰&nbsp;</p><p>&nbsp;お近くの方宜しければ是非、お待ちしております❤️&nbsp;</p><p><br></p><p>&nbsp;🎄クリスマスコンサート🎄&nbsp;</p><p>2025年12月21日（日）　</p><p>&nbsp;開場13:40 開演14:00&nbsp;</p><p>赤間西コミュニティセンター
宗像市三郎丸5-2-24</p><p>&nbsp;🎵プログラム🎵&nbsp;</p><p>第一部 能智和子&amp;コールリリアス&nbsp;</p><p>第二部 松元拓士カルテット&nbsp;</p><p>&nbsp;出演&nbsp;</p><p>亀崎奈津美（サックス）&nbsp;</p><p>松元拓士（ピアノ）&nbsp;</p><p>森山陽介（テューバ）&nbsp;</p><p>柴田楓（フルート）&nbsp;</p><p>友情出演
元木晴夫（ドラム）
古武秀雄（ベース）&nbsp;</p><p>ダンス
Rira</p><p><br></p><p>&nbsp;※入場無料&nbsp;</p><p>※事前お申し込みが必要&nbsp;</p><p>※スリッパが必要な方はご持参ください</p>
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ちなみにわたしのダンスは17:45〜18:15の予定です💃✨

お近くの方は是非遊びにいらしてくださいね❤️
観覧・参加無料です🥰

是非お待ちしております🫶  🎄北会場
自由が丘コミュニティセンター
宗像市自由が丘3-12-11  🎄南会場
ザビエル記念ホール
宗像市名残１０５６ 🚙どちらの会場も無料🅿️あり ]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2025-12-12T00:42:17+00:00</published><updated>2025-12-12T00:42:17+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>こんにちは🥰ダンサーのRiraです💃&nbsp;</p><p>12月21日（日）は、自由が丘の【子ども・おとな会議】の皆様主催のクリスマスイベントに出演させていただくことになりました🎄&nbsp;</p><p><br></p><p>&nbsp;会場は北会場（自由が丘コミセン）と南会場（ザビエルホール）の2会場で、イベントは同時進行となります。北会場はお子様メインで、ゲームやジャンケン大会、宗像自由が丘管楽合奏団の皆様の演奏、そしてわたしのベリーダンス演舞があります。&nbsp;</p><p><br></p><p>&nbsp;南会場は大人の方メインで、コーラスグループ ピュアミントの皆様の歌、宗像自由が丘管楽合奏団の皆様の演奏、アイリッシュハーピスト Chifumiさんのハープ演奏があります。&nbsp;</p><p><br></p><p>&nbsp;どちらの会場も16:00スタートです。
ちなみにわたしのダンスは17:45〜18:15の予定です💃✨

お近くの方は是非遊びにいらしてくださいね❤️
観覧・参加無料です🥰

是非お待ちしております🫶&nbsp;</p><p><br></p><p>&nbsp;🎄北会場
自由が丘コミュニティセンター
宗像市自由が丘3-12-11&nbsp;</p><p>&nbsp;🎄南会場
ザビエル記念ホール
宗像市名残１０５６</p><p>&nbsp;🚙どちらの会場も無料🅿️あり&nbsp;<br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[一つ、乗り越えて]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58075577/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/e594a5d732e0e5ad38497fad68ba4f46_42cff3b940f420db837d9f7968282ca6.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58075577</id><summary><![CDATA[2025,11,3㊗️ ADS Song and Dance Concert今回チャレンジしたBlack Swan。良くも悪くも出し尽くした。
また次に向かって精進するだけ。 主催者のY先生、共演してくださったダンサーの皆さま、スタッフの皆さま、観に来てくださったお客様方。本当にありがとうございました😌🙏✨  今回の舞台に向けての振付改変、白鳥と黒鳥の表現について、練習との向き合い方など…また後日noteで色々書きたいと思います✒️ 少し疲れたのでゆっくり休んで、また気持ちを切り替え次のイベントの練習をスタートします💃⤵️⚪︎11月16日（日） 赤間西コミセン文化祭
⚪︎12月14日（日） ANTIQUE Biscuit クリスマスディナーショー
⚪︎12月21日（日） 赤間西コミセンクリスマスコンサート（ジャズバンドと共演）
⚪︎12月21日（日） 自由が丘コミセンクリスマスイベント  イベント詳細はまた後日お知らせさせていただきますね🫶]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2025-11-09T11:59:42+00:00</published><updated>2025-11-09T11:59:42+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>2025,11,3㊗️ ADS Song and Dance Concert</p><p>今回チャレンジしたBlack Swan。</p><p>良くも悪くも出し尽くした。
また次に向かって精進するだけ。&nbsp;</p><p><br></p><p>主催者のY先生、共演してくださったダンサーの皆さま、スタッフの皆さま、</p><p>観に来てくださったお客様方。本当にありがとうございました😌🙏✨&nbsp;</p><p><br></p><p>&nbsp;今回の舞台に向けての振付改変、白鳥と黒鳥の表現について、練習との向き合い方など…また後日noteで色々書きたいと思います✒️&nbsp;</p><p><br></p><p>少し疲れたのでゆっくり休んで、また気持ちを切り替え次のイベントの練習をスタートします💃⤵️</p><p><br></p><p>⚪︎11月16日（日） 赤間西コミセン文化祭
⚪︎12月14日（日） ANTIQUE Biscuit クリスマスディナーショー
⚪︎12月21日（日） 赤間西コミセンクリスマスコンサート（ジャズバンドと共演）
⚪︎12月21日（日） 自由が丘コミセンクリスマスイベント&nbsp;</p><p><br></p><p>&nbsp;イベント詳細はまた後日お知らせさせていただきますね🫶</p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[王妃 マリー・アントワネット 下巻]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58070674/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/a86df32003308d15d044fb7753e84ae8_1e0e6a9bcb14d829cc53b9f128a4b4fa.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58070674</id><summary><![CDATA[【王妃 マリー・アントワネット 下巻】遠藤周作 著
読了。  ２日で一気読みしてしまった。 歴史の激流にのまれながらも自らの尊厳と思想を貫き通す王妃。その様子はわざわざ破滅の渦中へ身を投じるような行為にみえる。また、歴史を動かそうとする民衆は飢え、虐げられ続けた苦しみから、貴族や国王一家への憎しみ、妬み、恨みから、正義の名の下に暴力と殺戮という狂気の狼藉を繰り返す。  そもそもの生まれや育ちや価値観、思想が違う絶対的な階級世界のなかで、互いに歩み寄るという道は難しい。特権を振り翳し弱いものから搾取し自己の利益だけを追求する強欲、搾取された者たちの強い憎しみが暴力や殺戮の正当化となり飛び火のように広がっていく、人間が奥底に持っているであろう人間故の凶暴性。過去から世界中で絶えず繰り返されてきた（現代の今も）戦争の残酷さや醜さが当事者目線（民衆）で描かれていたところにリアリティを感じた。  読んでいて、歴史の史実とは違うフィクションの登場人物がリアルの歴史と絡む部分に時々混乱してしまった箇所がいくつかあるが、歴史書や資料とは違う臨場感は体感できたので読んで良かったと思う。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2025-11-08T09:43:42+00:00</published><updated>2025-11-08T09:43:42+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>【王妃 マリー・アントワネット 下巻】遠藤周作 著
読了。&nbsp;</p><p>&nbsp;２日で一気読みしてしまった。&nbsp;</p><p>歴史の激流にのまれながらも自らの尊厳と思想を貫き通す王妃。その様子はわざわざ破滅の渦中へ身を投じるような行為にみえる。また、歴史を動かそうとする民衆は飢え、虐げられ続けた苦しみから、貴族や国王一家への憎しみ、妬み、恨みから、正義の名の下に暴力と殺戮という狂気の狼藉を繰り返す。&nbsp;</p><p>&nbsp;そもそもの生まれや育ちや価値観、思想が違う絶対的な階級世界のなかで、互いに歩み寄るという道は難しい。</p><p>特権を振り翳し弱いものから搾取し自己の利益だけを追求する強欲、搾取された者たちの強い憎しみが暴力や殺戮の正当化となり飛び火のように広がっていく、人間が奥底に持っているであろう人間故の凶暴性。過去から世界中で絶えず繰り返されてきた（現代の今も）戦争の残酷さや醜さが当事者目線（民衆）で描かれていたところにリアリティを感じた。&nbsp;</p><p>&nbsp;読んでいて、歴史の史実とは違うフィクションの登場人物がリアルの歴史と絡む部分に時々混乱してしまった箇所がいくつかあるが、歴史書や資料とは違う臨場感は体感できたので読んで良かったと思う。<br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[王妃 マリー・アントワネット 上巻]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58070663/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/5ec2def9ed687344c895caa9634a579e_17bffa5bce5b7b263a8382bc55a592ac.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58070663</id><summary><![CDATA[【王妃マリー・アントワネット 上巻】遠藤周作 著
読了。  入江相政日記を読む傍らで読み始めたのだが、フランス革命のおおかたのあらすじは知っていたので、こちらの方をサクサクと読み進める事が出来、ほぼ２日で読み終えた。  遠藤周作さんの本を読むのは初めてだったが、わかりやすく的確な表現や史実に基いたリアリティある考察を交えた文体が小気味良くて、読んだ文が映像になって頭の中に展開されていく感じ。  この上巻ではアントワネットがフランスに輿入れするところから始まり、首飾り事件の裁判の途中までが描かれている。

マリー・アントワネットに関しては様々な映画や資料、動画、有名な【ベルサイユのばら】も読んでいたのでその通りの部分と意外に思う解釈など、様々な視点で楽しめた。下巻も読むのが楽しみだ。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2025-11-08T09:42:01+00:00</published><updated>2025-11-08T09:42:01+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>【王妃マリー・アントワネット 上巻】遠藤周作 著
読了。&nbsp;</p><p>&nbsp;入江相政日記を読む傍らで読み始めたのだが、フランス革命のおおかたのあらすじは知っていたので、こちらの方をサクサクと読み進める事が出来、ほぼ２日で読み終えた。&nbsp;</p><p>&nbsp;遠藤周作さんの本を読むのは初めてだったが、わかりやすく的確な表現や史実に基いたリアリティある考察を交えた文体が小気味良くて、読んだ文が映像になって頭の中に展開されていく感じ。&nbsp;</p><p>&nbsp;この上巻ではアントワネットがフランスに輿入れするところから始まり、首飾り事件の裁判の途中までが描かれている。

マリー・アントワネットに関しては様々な映画や資料、動画、有名な【ベルサイユのばら】も読んでいたのでその通りの部分と意外に思う解釈など、様々な視点で楽しめた。</p><p>下巻も読むのが楽しみだ。<br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[生きものたちの部屋]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58041875/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/6a84f8b7e591bb70af4710d5f664f173_6247825f2f0970f93af1142d3887b672.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58041875</id><summary><![CDATA[【生きものたちの部屋】宮本輝
読了。  タイトルに惹かれ、初めて宮本輝さんの著書を読んだ。小説ではなく、エッセイである。 宮本輝さんは、わたしが頭の中でイメージする【小説家】に極めて近いイメージの方だった。

奔放で大胆で神経質で、酒飲みでヘビースモーカー。書けない時かんしゃくを起こして暴れたり、趣味がゴルフだったり。

本書に登場する小説家の生活の断片や、作品を無から生み出す苦悩、モノの見方感じ方など、興味深く読ませていただいた。

最終章は日記になっていて、『なぜ最後だけ日記？』と疑問に思っていたら、阪神大震災の被災体験がしたためられていた。

6434人もの犠牲者を出し、本のタイトル【生きものたちの部屋】を奪い去った震災当日から1月31日までの短い日記。違和感を感じながら読み進めたが、この最終章の追加により、より鮮明に、

生きること、生活すること、家族や周りの人々との日常の何気ないやりとり。【生きものたちの部屋】を意識することができた。

いつか宮本輝さんの小説もよんでみようと思う。 そして読み終わる頃、オークションで落札した【入江相政日記】が届いた。全6巻。いっぺんに6冊持てないくらい、重い。この入江相政日記は、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政が、1935年から1985年9月までほぼ毎日記した日記だ。50年分の日記なのだから重たくて当然か。

今日から1巻目を読み始めることにしよう。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2025-11-03T11:01:48+00:00</published><updated>2025-11-03T11:14:20+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>【生きものたちの部屋】宮本輝
読了。&nbsp;</p><p>&nbsp;タイトルに惹かれ、初めて宮本輝さんの著書を読んだ。小説ではなく、エッセイである。&nbsp;</p><p>宮本輝さんは、わたしが頭の中でイメージする【小説家】に極めて近いイメージの方だった。

奔放で大胆で神経質で、酒飲みでヘビースモーカー。書けない時かんしゃくを起こして暴れたり、趣味がゴルフだったり。

本書に登場する小説家の生活の断片や、作品を無から生み出す苦悩、モノの見方感じ方など、興味深く読ませていただいた。

最終章は日記になっていて、『なぜ最後だけ日記？』と疑問に思っていたら、阪神大震災の被災体験がしたためられていた。

6434人もの犠牲者を出し、本のタイトル【生きものたちの部屋】を奪い去った震災当日から1月31日までの短い日記。違和感を感じながら読み進めたが、この最終章の追加により、より鮮明に、

生きること、生活すること、家族や周りの人々との日常の何気ないやりとり。【生きものたちの部屋】を意識することができた。

いつか宮本輝さんの小説もよんでみようと思う。</p><p>&nbsp;そして読み終わる頃、オークションで落札した【入江相政日記】が届いた。全6巻。いっぺんに6冊持てないくらい、重い。この入江相政日記は、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政が、1935年から1985年9月までほぼ毎日記した日記だ。50年分の日記なのだから重たくて当然か。

今日から1巻目を読み始めることにしよう。<br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[11月スタート]]></title><link rel="alternate" href="https://www.bellydance-najm.net/posts/58041830/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/355244/852f35eef9151afa2c1daf049b1dfad3_2d20f144f0a7ecd1e5ca0b03dc3ac800.jpg"></link><id>https://www.bellydance-najm.net/posts/58041830</id><summary><![CDATA[11月スタート。 博多駅のイルミネーション点灯、うどん屋でさえもクリスマスソングが流れてた11月1日。  いよいよ冬本番、という雰囲気だけどまだまだ日差しが暴力的に暑くて、運転中ガラス越しに刺す直射の日差しが強すぎて目眩起こしそうになる。太陽の南中高度が下がって、午後からの時間の運転は夏場よりしんどかったりする。まだまだ太陽は元気いっぱいだ。  秋から年末にかけてのこの時期の、ちょっと浮き立つようなソワソワした感じ、わくわくする感じ、子供の頃のクリスマスへの憧れや期待みたいな感じを思い起こすことができて、とても好きだ。

キラキラでカラフルなイルミネーション、スーパーの店頭に並ぶお菓子が詰まったブーツ、クリスマス仕様に飾られたケーキ、おもちゃ売り場の賑わい。あちこちから聞こえるクリスマスソングの鈴の音、金色のベルに赤いリボン。遠い日の記憶がついこの間の事のように鮮やかに蘇る。  クリスマスといえば、スケート⛸️
よく冬休みになるとスケート場に連れて行ってもらった。早く滑り出したくて心がはやって、靴紐を結ぶ時間さえももどかしかった。床に敷き詰められた滑り止めのゴムの匂い、キーンと冷たいリンクの空気。氷が削れる感触、転ぶのが怖くてヨチヨチと滑り出す最初の一歩。

クリスマスソングが流れるうどん屋さんでお昼をいただきながら、やたらスケートに行きたくなった。

今年もあと2ヶ月を切った。
さて、何をしよう？どこに行こう？

限られた時間の中で、やりたい事をひとつでも多く今年のうちにやっておきたい。見て、経験して、感じて、来年への感性を磨いていきたいものだ。 冬はステージやカフェでのショー。年が明けたら海外遠征も待っている。この冬もたくさんチャレンジして人生に負荷をかけて成長を目指そう。]]></summary><author><name>りら</name></author><published>2025-11-03T10:52:53+00:00</published><updated>2025-11-03T10:52:53+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>11月スタート。&nbsp;</p><p>博多駅のイルミネーション点灯、うどん屋でさえもクリスマスソングが流れてた11月1日。&nbsp;&nbsp;いよいよ冬本番、という雰囲気だけどまだまだ日差しが暴力的に暑くて、運転中ガラス越しに刺す直射の日差しが強すぎて目眩起こしそうになる。太陽の南中高度が下がって、午後からの時間の運転は夏場よりしんどかったりする。まだまだ太陽は元気いっぱいだ。&nbsp;</p><p>&nbsp;秋から年末にかけてのこの時期の、ちょっと浮き立つようなソワソワした感じ、わくわくする感じ、子供の頃のクリスマスへの憧れや期待みたいな感じを思い起こすことができて、とても好きだ。

キラキラでカラフルなイルミネーション、スーパーの店頭に並ぶお菓子が詰まったブーツ、クリスマス仕様に飾られたケーキ、おもちゃ売り場の賑わい。あちこちから聞こえるクリスマスソングの鈴の音、金色のベルに赤いリボン。遠い日の記憶がついこの間の事のように鮮やかに蘇る。&nbsp;</p><p>&nbsp;クリスマスといえば、スケート⛸️
よく冬休みになるとスケート場に連れて行ってもらった。早く滑り出したくて心がはやって、靴紐を結ぶ時間さえももどかしかった。床に敷き詰められた滑り止めのゴムの匂い、キーンと冷たいリンクの空気。氷が削れる感触、転ぶのが怖くてヨチヨチと滑り出す最初の一歩。

クリスマスソングが流れるうどん屋さんでお昼をいただきながら、やたらスケートに行きたくなった。

今年もあと2ヶ月を切った。
さて、何をしよう？どこに行こう？

限られた時間の中で、やりたい事をひとつでも多く今年のうちにやっておきたい。見て、経験して、感じて、来年への感性を磨いていきたいものだ。&nbsp;</p><p>冬はステージやカフェでのショー。年が明けたら海外遠征も待っている。この冬もたくさんチャレンジして人生に負荷をかけて成長を目指そう。</p>
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