表現すること

水曜日のリハの動画を知り合いに見てもらったら『ターンの腕の上げ方がパッとしない』の一行のみの感想で、後は別の話題が綴られてた。朝からど凹みしたけどこれが現実。ここからどう修正かけて行くか。誰かの心に残るような踊りがしたい。この苦しい時間が本番までにもう少しだけ自分を変えてくれると信じて模索する。

ど凹みして、何度も動画を見直して、ひたすらトライアンドエラーの昨日今日。
今朝改めて踊り直してみると、無意識に動きに気を取られていたところにしっかりと感情が乗り、この曲のパーソナリティがようやく現れ始めた。

コンペだから、失敗無く踊りたいという気持ちが無意識にあったんだなぁと実感。それでも自分では表現しているつもりで。だけどなんとなくフワフワと落ち着かない感じもあって。『腕の動きがパッとしない』と切り捨ててくれた知人に感謝。フワフワ感は間違いなく現実だったのだ。他人の忖度無しの意見は偉大な指導だ。悔しさはバネになる。

この曲の女性は、失恋して弱々しく嘆くのではなくもっと熱い芯のある人。今日初めて、歌詞では追いきれない強さと熱さがあると感じた。もっと女々しく嘆く人かと思ってた😂
そもそも外国の歌だから、もっとハッキリしたメンタリティを意識する必要があるのかも。わたしの表現は霞かかり過ぎだと思った。表現未満ってこと。

感情のままに踊りすぎない。俯瞰した目線を併せ持つ事で表現が洗練される。曲に気持ちだけ乗ってもそれは他人に伝わる表現ではない。どの感情がどの動きに反映されてそうなるのかを具体的に、外側から自分を観察して踊りのテクニックに変換して行くことが必要だ。

Bellydance Najm Fukuoka

ベリーダンス ナジュム福岡 -福岡のベリーダンス教室-

0コメント

  • 1000 / 1000