かぐや姫の舞
先日10月12日に石川県小松市の八十山雅子・和代美術館にて開催された『かぐや姫の舞』、台風の悪天候の中、沢山のお客様にご来場頂き、幸せなひと時になりました。
わたしは朝の1便にて小松入り出来ましたが、台風の影響で2便以下欠航。新幹線やJRにも被害が出て、当日は予定していたけど来られなくなってしまったお客様が沢山いらっしゃいました。
そんな中60人を超える方々にお越し頂き、地元のケーブルテレビ局や北陸中日新聞の方にもご来場頂きました。
どんな天候であろうと明るさとパワーで動じない、世界的画家の八十山和代先生のオーラのなせるわざかしら…と少々不思議で温かな雰囲気が会場から溢れていました。
今回わたしがフォーカスして演じたのは『かぐや姫の愛』について。
ナレーションの方にご協力頂き、ストーリーを追いながらかぐや姫の心を表現していくスタイルでした。
導入部分は『越天楽幻想曲』。越天楽は雅楽では平調に属し、季節は秋。かぐや姫が竹取の翁と出会ったのは月の綺麗な夜だった…事から、秋だったのではないかなと思いを馳せ、竹で造られた龍笛の音で始まりました。月から来たかぐや姫は天人。人ではない、神秘的で少し怖い近寄り難い雰囲気を出すのは本当に難しかったです。
東儀秀樹さんの『New Asia』という楽曲を使用して、帝と文を交わすうちに帝に対し恋心を抱き、戸惑い、悩み、苦しみ、それでもなお恋しさが募る…というシーン。
カメリアベールを使い、秘めた恋心や帝からの文、やりきれない思いをカタチにしました。踊りながら音楽に感情が入り込み過ぎて泣きながら舞っていました。
このシーンは特に『伝わった』と沢山のお客様から言って頂けて、本当に嬉しかったです。かぐや姫の感情が降りてきて、無意識に動かされたような感覚でした。音楽と、八十山先生の描いた孟宗竹林が幻想的で、心をギュッと潰されてしまうような想いが全身に走りました。
次は打掛を脱いで、Igol振付の悲恋の歌を。ベリーダンスの曲です。想いは想いのままで心に熱くほとばしるのに報われない。届けられない。運命に逆らえない苦しみや悲しみ、たったひとつの愛を貫けない言葉にならない魂の叫びみたいなものを込めて舞ました。
ラストは『笙調子』で、月の使者が舞い降りてきてかぐや姫に天の羽衣を着せ、月に帰ってゆくシーン。笙は竹から造られた楽器で、鳳凰の声と言われています。金属のリードが付いているので竹とは思えない神秘的な高音が印象的な楽器です。月の光の波動のような音域です。
羽衣を着ると、現世での記憶が失われてしまう。愛する人を忘れたくない、離れ離れになりたくない、かぐや姫の葛藤と別れの悲しみにフォーカスしました。
かぐや姫は月で罪を犯して地上に下されたそうです。月でも叶わぬ恋をして罰を受けたのかな?と演じながら思いました。
かぐや姫の原文を何度も読み、構成やストーリー展開を考えながら、何故地上に下され、また天界に戻されてしまうのか不思議に感じていました。
本番でかぐや姫を演じてみて、叶わぬ恋をしてしまったから罰を受け、またもや愛する人との今生の別れを体験させられてしまったのだなと自分の中で繋がりました。
人を愛することは、かならずしも幸せな事ばかりではない。貫けない想いや、死別や、叶わない想いもある。
かぐや姫を演じるまでは考えもしなかった想いを追体験する事が出来、不思議な感覚でした。
以前舞った『鷺娘』もある意味同じような悲恋物語でしたが、竹取の翁夫妻に愛されて育ったかぐや姫の方がより人間らしい心の動きになりました。
鷺娘の時は白鷺の化身でしたから、1人で身を焦がし、阿鼻叫喚地獄に堕とされ、恨みや苦しみの中で絶命する、もっと原始的な感情の波でした。
かぐや姫の想いの方がより説得力があり、人が誰しも経験した事のある様々な『別れ』の悲しみに共感しやすいのかなと思ったり。
今回、八十山先生の描いた美しい孟宗竹林を背景にかぐや姫を舞えた事はわたしにとって貴重な時間でした。舞はIgol振付のベリーダンス以外は全て感情に任せた即興でした。ナレーションの方の味のある語りにも沢山助けて頂いた気がします。
北陸中日新聞に掲載された『かぐや姫の舞』の記事です。今週木曜日までは小松のケーブルテレビにて八十山和代先生のインタビューと舞の一部が偶数時間放映されているそうです。
今日のイベントに関わってくださった全ての方々と、台風の中駆けつけてくださったお客様にただただ感謝しかありません。
福岡から来た見知らぬわたしを温かく迎えてくださり、アンコールまでリクエストしてくだり、沢山の嬉しいお言葉や感想を伝えてくださった事、本当に嬉しく感激しました。
本当に本当にありがとうございました✨🙏✨
言葉に尽くせない程の感謝を込めて。。
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