不自由さの中に(帰国翌日に思う事)
帰国翌日の朝7時。
私はいつものように朝練のスタジオに向かっていた。
昨日まで北欧の小さな町にいたことが嘘のように、日常は何も変わらない。
けれど、異国の地に立つと、いつも考えさせられることがある。
知らない街。
知らない文化。
知らない風習。
知らない言葉。
その土地に根付いてきた人々の生活の痕跡、空気の匂い、街の色、言葉の響き。
そのすべてが新鮮で、とても美しく感じられる。
同時に、日本の素晴らしさにも改めて気づかされる。
日本は本当に便利で、豊かな国だ。
こういう時、私は映画『侍タイムスリッパー』のワンシーンを思い出す。
幕末からタイムスリップして現代の日本に来た会津藩士・高坂新左衛門が、初めてショートケーキを口にし、涙を流しながらこう言う。
「こんな美味いものが食べられるとは、日の本は良い国になったのですね」
コンビニも、自動販売機も、交通機関も整っていて、ほとんどのものはすぐ手に入る。
電車は時間通りに来て、どこへでも簡単に移動できる。
どこでも気軽に飲み物や食べ物が手に入り、清潔なお手洗いにも行ける。
痒いところに瞬時に手が届く世界だ。
だが外国に行くと、そうではないことも多い。
道はぬかるんでいたり、がたがただったり、
店は少なく、お手洗いも近場に無く、
欲しいものがすぐ手に入るとは限らない。
けれど人々は、当たり前のように生活している。
そしてどこか、心が豊かに見える。
そんな光景を見ていると、
便利さや豊かさの中で、それが当たり前だと思い込んでいた自分に気づかされる。
本当は、もう少し不便でもいいのかもしれない。
不便さの中には、
自分が動くことでしか得られない工夫や感覚、そして感動がある。
外国に行くと、そんなことを思い出させてもらえる気がする。
今回のエストニアでも、
言葉は決して自由ではなかった。
ロシア語、エストニア語、英語が飛び交う中で、
私は片言の英語とわずかなロシア語を頼りに、4日間踊りを学んだ。
決して楽なコミュニケーションではなかった。
けれど、それは私にとってかけがえのない経験だった。
その中で改めて感じたのは、
人と人とのコミュニケーションの本質だ。
メールやメッセージが当たり前になった今、
私たちは言葉を交わすことを、どこかで簡単に済ませてしまっているのかもしれない。
けれど本来、人間は
目と目を合わせて言葉を交わし、
五感を駆使して伝え合う生き物なのではないだろうか。
そして私は、いつも思う。
踊ることの本質は、
言葉で何かを伝えることに、とてもよく似ている。
言葉の代わりに、
踊りという「言語」を使って、人に何かを伝える。
それがダンスなのだと思う。
だからこそ、
不自由な言葉で必死に何かを伝えようとしたこの数日間は、
自分の踊りを模索することと、どこか同じ意味を持っていたのかもしれない。
拙い言葉で、必死に見て、聞いて、感じて、伝えようとする私。
それは、拙い踊りを引っ提げて、この異国の地に立った私と同じだった。
エストニアで過ごした数日間は、
私の人生を、確かに少し豊かにしてくれた。
これからも私は、
拙い言葉と拙い踊りで、
自分が伝えたい「何か」を模索し続けていくのだろう。
0コメント