エラーの奥にあるもの
エストニアから帰って、
私の朝練の内容は少しずつ変化してきている。
以前は、あるイベントに向けて、ひたすら踊り込み、
ミスを減らし、完成度を上げ、表現を深める。
そんなふうに「作品を仕上げるための練習」を繰り返していた。
けれど、エストニアで学び、感じ、見たことが、私の練習の在り方を大きく変えた。
本来なら、最初からそうあるべきだったのかもしれない。
私は、自分の個性や得意な部分を伸ばすことに偏りすぎていたのだと思う。
その結果、知らず知らずのうちに、ある種の落とし穴に、深くはまり込んでいた。
個人レッスンで感じた、あの重心の位置のエラー。
それは、これまで自分が正しいと思っていた位置とはまったく違い、一段、二段と高い場所にあった。
それを「重心」と呼んでいいのかは分からない。
けれど、奥の方からくっと引き上がるような感覚。
それを実際に触れてもらい、ぐっと持ち上げてもらって、初めて体感することができた。
これは、グループレッスンやオンラインでは決して得られなかった感覚だと思う。
帰国した翌日から、朝練の中でその感覚を再現しようと、何度も微調整を重ねてきた。
すると、かかとの上にストンと重心が乗る。
回転や動きの中で、その位置を自在に移動できる。
上へ引き上げる力と、下へ押す力が同時に働き始める。
これまで、なぜこんなにもぐらつくのか。
なぜコントロールが難しいのか。
そう感じていたことが、少しずつ、すらすらと噛み合っていくような、不思議な感覚があった。
手首。このパーツが鍵になる。
肘は胸から生まれ、胸、肩甲骨、肘、手首、指先、爪先へと、ひとつの流れが通る。
分散せず、途切れず、一本の線として繋がっていく。
この流れが整うと、頭の位置は自然と定まり、足運びも軽くなる。
上半身のラインが整い、私が目指していたあの形に、少しずつ近づいていく。
そして、シャッセ。
なぜかずっと、自分のシャッセが気になっていた。
というより、どこか嫌いだった。
どうしてこんなに不格好なのか。
なぜこんなにも平べったく見えるのか。
骨盤のカーブは使っているはずなのに、足運びがどこか噛み合わない。
そのエラーの正体が、長い間わからなかった。
けれど、それは足ではなかった。
エストニアで修正していただいた、あの部分。
そこにこそ、大きな原因があったのだ。
足に現れているエラーが、足そのものの問題とは限らない。
腕のエラーも、腕に原因があるとは限らない。
別の部分のズレが影響し、結果としてそこに現れていることもある。
だからこそ、自分のエラーに気づきにくいし、
直そうとしているのに、かえっておかしくなってしまうこともある。
見えているエラーは、あくまで結果でしかない。
原因はもっと奥の、深いところにある。
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日々、基礎を落とし込みながら振付を踊り、エラーを見つけては修正する。
その繰り返しの中で、小さな気づきが一つ、また一つと積み重なっていく。
その静かな変化の連なりに、私はすっかり魅了されている。
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自分の踊りが大嫌いで、落ち込んで、自暴自棄になって。
なんでこんなことを続けているんだろう、もうやめたいと、口にしたこともあった。
それでも今は、小さな一歩を重ねながら、
少しずつ、自分がなりたい踊り方に近づいているような気がしている。
そして毎朝、ほんの小さな気づきに喜びを見つけ、面白がっている。
その積み重ねの中で、踊ることが、静かに、確かに楽しくなってきた。
note記事 2026年4月21日より
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