2020年3月、ロシア
ダンスで自分が1番大切にしている部分は
表現する事、伝える事。
それが唯一自分に出来る事だと信じてた。
今、学んでいるオリエンタルスタイル。
ここ半年くらい向き合う事が苦しかった。
自分の特性と真逆なダンス。
自分の個性が邪魔になる。
表現したい事とも違う気がする。
迷って、行き詰まって、諦めかけて、
向き合う事をやめて、少し投げやりになっていた。
そんな中、ギリギリまで迷いながらもロシアに来ることを決断し、
若いエリートダンサー達や母世代のダンサー達に混じって一人、
オリエンタルベリーダンスにどっぷり浸かる毎日を過ごしてる。
自分のダンスはベリーダンスではなく、ましてやバレエでもない。
どちらにも寄り添えずコウモリみたいと思いながら。
有り難いことに、フェスティバルのゲストの先生方が
アドバイスを下さったり問題点を指摘して下さる。
頂いたアドバイスを受け止めて、わたしはどうするべきなんだろう、
と更に自問自答を繰り返す。
本当はこのロシア渡航を最後にオリエンタルを諦めようと思いかけていた。
特性に合わないダンスに苦しむより、
もっと色々な音楽に沿って自由な表現を追求しようと思っていた。
だけどそれで本当にいいのだろうか。
自由を求めて好き勝手に踊って、果たして本当の自由と言えるのだろうか。
自分を剥き出しにして踊る事は逆に不自由になるのではないだろうか。
きちんとベースになるものを取り入れて、
噛み砕いて、取り込んで、
その後に自分の個性が初めて滲み出てくるのではないだろうか。
この数日間、一人で、ロシアで。
ずっと繰り返し繰り返し考えた。
ちっぽけな自分に拘って、
目先の苦しさや不自由さから逃げて学ぶ事をやめるのは違う。
昨日、Live Band ClassicOriental部門を踊り終えて感じた。
踊る直前の特訓が辛かった。
些細な事さえ要求通りに出来ない。
行き詰まり、出来ない自分が不甲斐なく苦しかった。
苛立ちや焦りもあった。
だけど舞台に一歩踏み出すと、ミュージシャンが奏でる生の音に身体が導かれ、
目の前に広がった視界に自由を感じた。
誰の為ではない。自分の為に、この瞬間の為に踊っている。
言葉では言い尽くせない、充実感と心地よい緊張感だった。
答えは結果ではなく、『今ここ』で感じている自分の喜びだったのだと感じた。
音楽に寄り添い、感情を乗せる。
観客に伝える言語として、ダンステクニックがある。
エジプトの音楽、エジプトのリズム、エジプトの言葉。
エジプシャンダンスが未熟で、しかも日本人のわたしがどんなに寄り添おうとしても
一体化できない隔たりがかなりある。
だけど、今の精一杯は出し切れたと感じた。
出来なくても、不格好でも、それが自分。
それでもこの場所に立ち、ギリギリまで渡航が危ぶまれた中、
チャレンジできた事は誇りに思う。
そしてギリギリまで自分の在り方に悩み、
諦めかけていたわたしを少し距離感を保ちながら励まし、
前日に特訓をして下さった先生。
やる気をなくし、迷いや諦めに囚われている人間に
指導することはどんなに大変だっただろうと思う。
ご自身のゲストとしてのパフォーマンス練習や雑務の合間に
貴重な時間を割いて下さったのだ。本当に有り難い。
奇跡が起きたのは、わたしの力ではなく
本当に先生方のアドバイスのおかげだ。
Modern Oriental Professional部門を踊り終えた後のわたしを呼び止め、
表現の仕方やテクニックについてアドバイスをして下さったレジェンドのラガーイ先生。
先生のアドバイスがあったからこそ、LIVE bund部門とClassic Oriental部門の
踊り方への気持ちの切り替えと対策が出来た。
そしてCairo Mirage Bellydance Union主催の、
エジプシャンベリーダンスのレジェンド、Katia。
沢山のアドバイスに加え、わたしの良いところを言葉にして伝えてくださった事、
本当に嬉しかったし救われた。もう少しだけ頑張ってみようと
前向きな気持ちをプレゼントしてもらえた気分だった。
わたしにとって4回目のロシア。
訪れる度にロシアの人たちの温かさやダンスや芸術に対する情熱、
インスピレーションを沢山貰える特別な場所。
日本の次に、HOMEと呼べる場所なのかもしれない。
また、ロシアで。
必ず。
※2020年3月 Rira blog
“J'aime vivre librement”掲載分より
以下追記(2026年4月18日)
ー2020年当時、世界中がパンデミックで騒然としている時期、渡航しても無事に日程を消化できるのか?帰国できるのか?確証がひとつも無く、ギリギリまで決断出来ず、迷いに迷った末のチャレンジだったことを思い出す。当時の私は人間関係で疲弊し、心を病んでいた。
そんな中、唯一踊りだけが自分自身を救うもので、縋るようにコンペへのチャレンジと、日本の日常を離れ、私にとっての踊りの故郷であるロシア渡航を望んだのであった。
だが、日本よりも海外の方が早くパンデミックは広がり、渡航の為の飛行機は大混乱。
実際、私以外の日本人出場者は、現地の日程の半分手前で帰国を余儀なくされ(往復で予約していた便の復路がフライトキャンセルになり、新たに高額で別エアラインのチケットを急遽手配し早期帰国)、また、フェスティバル主催のロシア人マスターティーチャー・カティアをはじめエジプト人のマスターティーチャーの方々はフェスティバル終了後も宿泊施設から動けず(感染症拡大によりロシアーエジプトの便が停止)、同ホテルに1ヶ月ほど追加で滞在する羽目になり、毎夜インスタライブで公開レッスン開催する事に。
未知のウイルスの侵略という、かつて経験したことが無い、得体の知れない恐怖を日々感じ、世界中がパニックになっていたことを思い出す。
あの頃の私より、今の方がより自分の踊りと向き合えるようになったと思う。
練習の仕方、考え方、身体の使い方、音楽の表現の仕方…側から見るとあまり変化がないのであろうが、自分の中の感覚は別モノ級に変化した。(と、思いたい)
だが、踊りのテクニックも表現も、夏の日の【逃げ水】のように、追っても追っても追いつけず、やればやるほど自分の未熟さとポンコツっぷりを思い知らされて、満たされる事は無い。
2022年の冬、【自分の限界まで、真摯に自分の踊りと向き合い続けること】を誓った。
私は踊りという、唯一自分が幼少期より辞めずに続けてきている事に対して、どんなに焦がれても満たされることはなく、報われることはないことを痛いほど知っている。一生、片思いをし続けるのだ。
だけどこうして、【続けられるもの】があるだけでもしあわせな人生なのかもしれない。
そう思いつつ、死ぬまで、
踊る阿呆で居続けたいと切に願う。
note記事 2026年4月19日より
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