人生初のイギリスぼっち旅〜其の三【土偶、イギリスで舞う②】


三味線が鳴り、一歩目を踏み出し、軽くステップして助走でカーブを描き、跳ぶ。ただ1人日本から来た歌舞伎者(珍獣)を見つめる観客から『Oh!!』と歓声が上がった。床が滑る。スペースが足りない。跳躍はごく低かった。ダン!の音で床を鳴らす。

いつもとは違う感覚の中にいた。


【表現する事】に集中して自分の中に入っていくよりも、観客に向かって意識が外に外に出ていっていた。3日振りの身体は少し鈍くて重たかった。多分、練習程のキレは無かったと思う。いつもよりオーバーリアクションで、観客と目を合わせてはニッと笑った。

獅子の精の荒々しさと憑依された弥生の掛け合いではなく、観客に向かっておどけて見せる獅子の精になっていた。ファンベールポイを振ると大きな歓声と拍手が上がった。ラストの回転で再度大きく客席が沸いて、ザワザワする振動みたいなものを感じた。獅子の精が弥生の身体から抜けるシーン。バタンと倒れて、ラストの拍子木の音で顔をバッと上げてフィニッシュ。

最初にダリナが笑顔で拍手してくれる姿が見えてホッとした。観客の目が大きく見開かれて、声を上げながら拍手してくれていた。終わった。大きなミスは多分無かったと思う。が、少しモヤモヤした感覚が残った。

あっという間の3分間だった。

少し息が切れ、喉の奥が圧迫されているように鈍く痛くなった。反芻すると、あまり集中出来ていない時の感覚に近かった。無難に纏めてしまったのだろう、とスッキリしない思いと、折角ダリナに見てもらうならダリナの曲を踊りたかったという後悔もあった。だけどイギリスで踊るなら、日本人の自分にか出せない個性を打ち出そうと決めたのは自分だ。

ダリナスタイルを学びつつもフュージョン・飛び道具使いの二足の草鞋を履いている自分のカオス状態を改めて思う。真逆のベクトルを内包し、どちらもスタイルも中途半端なのではないだろうか。

表現に特化した踊りが向いているからそこを突き詰めろとよく言われるが、踊りたいものの方向性や学びたいものがここ最近で変化して来ている。

2016年の【鷺娘】、2017年の【春興鏡獅子】。その後何度も人生の谷を経験し、学び、メンタルが変化していった。2016年のわたしが出来た表現は恐らく今はもう出来ないだろう。2017年のもそうだ。あの頃は今より技術的にかなり稚拙だった分(決して今が上手いと言う訳ではないが)、その分大きく表現に特化出来ていた。感情が不安定に先走り、溢れ出して、後から身体が追って来ていた。あの頃感じていた強い劣等感や疎外感、自己嫌悪に絶望感、孤独感。そんな負の感情の波が自分を表現の世界へ大きく突き動かしていたのだと思う。

あの頃と比べて、今は良い意味でも悪い意味でも開き直っている。負の感情を手放し、意識を外側でなく内側に向け、他人と自分を比べなくなった。孤独でいる事が常で、それが心地よく居られるようになった。他者とではなく常に昨日の自分との競争に意識を向ける。自分との競争の中では強い劣等感は生まれない。

鷺娘の表現の原点は、人間に生まれる事が出来なかった、畜生である我が身を呪う事だった。故に人間との恋は成就せず、阿鼻叫喚地獄に堕とされ、苦しみ、のたうち回り、死んでいく。そこに自分自身が長年抱えてきた劣等感、自己否定、自己卑下、そういったあらゆる負の感情が重なって役と一体化したから出来た表現だった。時にマイナスの感情は、表現において大きな力を発揮する。

そう考えると、過去の自分の表現は既に死んでしまっているのかもしれない。毎日コツコツと自分と向き合い、意識を内面にフォーカスする事で殺してしまったのかもしれない。今は無くしてしまったあの強い劣等感と疎外感と、やり場のない想いの数々がわたしの表現の原動力だったから。

恐らくこれからの方向性を問われる時期なのだ。

過去の自分の表現に固執していてはダメだ。もう、あの時のようには踊れない。練習したからどうのという事ではない。新しい表現を模索するフェーズに来ている。安易に過去の引き出しから引っ張り出すのは思考停止の手抜きでしか無い。他の出演者のダイナミックなパフォーマンスを観ながら、ずっと心は晴れなかった。

そんなわたしに、観客や出演者が沢山言葉を掛けてくれた。『You’re so amazing!』 『Fantastic!!』 『I love your performance』 …満面の笑顔で、時にはすれ違い様に耳打ちしながら、手を握りながら、目をじっと見つめながら。感じた事をストレートに伝えてくれる真っ直ぐさと温かさに驚き、癒され、とても嬉しかった。

…イギリスの方達(とは言え国籍も人種も様々)のパフォーマンスはダイナミックだった。踊る心意気が陽性で、踊っている自分が好きなのが伝わってくる。踊る事で生きている、笑顔や魅せ方がチャーミング。そこはプロダンサーにもアマチュアダンサーにも共通していた。衣装やメイクでは無い。本人の心意気が全面に出ていて、そこがたまらなく魅力的に映る。(むしろ衣装はかなり適当な人が多かった印象)

団体主義の日本とは真逆の、個人主義の国のパーソナリティ。鎖国メンタルではなく、大航海時代を制したグローバルメンタルという印象だった。会場は終始拍手と歓声に溢れていて、ダンスが日本より身近で観客はダンスの見方に慣れていて、会場の盛り上げ方と自分自身の盛り上がり方が両方上手いな、とも感じた。

中には世界レベルの才能溢れるダンサーも居て、観ていてとても心奪われた。それは控室で衣装の背中を安ピンで留めてあげた彼女である。情熱的な瞳と、小さな顔で思わず惹き込まれるくらい綺麗で可愛い。『Oh…You’re so kind 』と言ってくれた。素晴らしいダンサーと些細なやり取りが出来たこと、言葉を交わせた事がなんだかちょっと嬉しかった。

そして、いよいよダリナ登場。一気に空気が変わる。今回はバラディ、ドラマチックオリエンタル、イラキの3曲を披露してくれた。超絶技巧のテクニック満載な中に、あの圧倒される表現力、魅力的なキャラクター。観た人は必ず心奪われる、熱いパフォーマンスだ。観る度にどんどん惹き込まれて、もっともっと好きになる。世界で最もリスペクトするダンサーであり、先生でもある。彼女に直接学べる事、また再会出来た事への喜びがじわじわと湧いてきて泣きそうになる。まさかイギリスで再会出来るなんて。今、わたしは夢のような時間の中にいる。夢ならどうか醒めないで、とテンプレのような言葉が脳裏に浮かんだ。だけどその言葉が全てなのだ。

【どうか夢なら覚めないで。】

Bellydance Najm Fukuoka

ベリーダンス ナジュム福岡 -福岡のベリーダンス教室-

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