即興で踊るとは
決められた振付を踊るのではなく、音楽を聴いて瞬間的に湧き上がるイマジネーションや感情を身体の動きとして表現する事。音楽との一体感や踊り手の創造性を最大限に引き出す表現方法。
確かに即興の方が規定の振付を踊るより、その瞬間の感情の昂りは落とし込みやすい。うまく行けば音楽との一体感や表現するキャラクターと自分との【境目】が無くなり、感情が溢れて別の人物の感情を体感出来ることもある。が、そんな事は稀で(わたし自身そう感じれた事が今まで2回程しかない)本当に難しい。
湧き上がる感情を、踊りという【言語】に変換しないといけない。わたしの場合だとベリーダンスやバレエの動きへの変換がメインになるが、とっさに動いた動きの一つ一つに具体性を持たせつつ、なおかつ踊りとしての美しさを失わないようにするのは至難の技だ。実は振付を踊る事よりも基礎の徹底した磨き上げが必要になってくる。『感情に任せて自由に動いても崩れない、意図を観る人に具体的に伝えられる言語としての踊りのベース』、洗練された基礎の先にしかそれは無いと思っている。
だから過去2回、【鷺娘】と【かぐや姫】を踊った時に得た役との一体感はかけがえのない経験であったと同時に、ものすごく荒削りであった事は否めない。言語としてのダンスのベースよりも、表現しようとする感情が上回っていたのだ。だから今思い返すと、あの時点での自分では良くやったと言えるかもしれないが、今同じ事をやってはいけない。(中途半端に技術が向上したので逆に無理だが)今から目指すものは、裏打ちされた基礎の上に築く洗練された即興での表現方法。自分の得意な動きだけに頼る事なく、その音に、その感情に呼応する動き。難し過ぎてちっとも辿り着ける気がしないけれど、少しでもそちら側に行けるように日々コツコツ練習を始めたところだ。
即興でやりがちな失敗は、自分だけがその曲に入り込み過ぎて『表現しているつもり』になってしまう事だ。実は子供の頃よくやっていた遊びがそれだ。
小さい頃よく家にあったクラシック音楽をかけながら自室で踊るという一人遊びをやっていた。チャイコフスキーが一番のお気に入りで、曲を聴くと、頭の中に景色や光や色が沢山視えた。そうするともうじっとしていられなくて、無心に踊りまくる。感情は昂り、心は曲の世界を彷徨う。側から見たら相当ヤバい子供だったろうと思う。(家族の留守中限定の遊びだったので実は誰も知らない)
この頃の純粋な遊びと今取り組んでいる【即興】は違う。踊りの【型】を【言語】として用いる。曲に感情を一体化させつつも俯瞰して踊りの作法に則って観ている人に【伝える】事。子供の頃の遊びのように基礎を磨く努力をせず、観る人の事を度外視している【即興】は、ただのマスターべーションだと思う。
即興は振付のように同じ動きを細かく反復練習しない分危うさが増す。粗が出やすい。単調な動きになりやすい。ポーズや間合いのような極めを流しやすい。感情に溺れて、『表現出来ている』と勘違いしやすい。
だからこそ下地になる身体の柔軟性と可動域の開拓、アイソレーション練習、ダンス基礎の磨き上げ、コンビネーションの磨き上げ、細かい感情の階層と意識へアプローチする練習、既成の振付を様々な表現で踊り分ける練習、日々の生活で自然に目を向け、心を寄せ、感受性を磨き続ける事など。様々な要素が必要になってくる。これらはわたしがまだベリーダンスを始めて間もない頃受けたWSで、ダークフュージョンの第一人者Ariellahが教えてくれた事だ。
彼女はロイヤルバレエスクールで学んだ後ベリーダンスを学び、トライバルフュージョンの第一人者Rachel Briceの下で踊り、その後独自の表現を追求しダークフュージョンを開拓した素晴らしいダンサーだ。彼女の言葉は今もずっとわたしの根底にしっかりと根付いている。
↑ Ariellahと。ベリーダンスを始めて間もない頃
今改めて取り組み始めた【鷺娘】は日舞や歌舞伎でお馴染みの演目で、最近では映画【国宝】の重要なシーンでも舞われていて、多くの人が目にしたのではないかと思う。
わたしが2016年からチャレンジしているのもまさにあのシーン、鷺娘が恋にやぶれて吹雪の中阿鼻叫喚地獄に堕ち息絶えるシーンだ。
詞を繰り返し読み、長歌を聴き込み、どう身体で表現するか模索する。鷺娘の気持ちは?人間の感情よりもっと動物的な喪失感なのか?それとも人間に恋をする事で姿だけでなく感情も人間になったのか?悲しみは憎しみや恨みが根底にあるのか?それとももっと厭世的な感情なのか?絶望し無力に運命を受け入れて死んでいくのか?
表現する事には答えが無い。
答えが無いという事は【完成】という正解も無いのだ。追求は無限に続く。自分が諦めて投げ出してしまう時まで。
Ariellahの言葉をいつも胸に、投げ出さず、自分の中の最高の鷺娘を追求していきたいと思う。
↑ 鷺娘 2016年
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