無駄が導く事もある

今日は朝練後、福岡県立美術館へ。 久留米市出身の洋画家、髙島野十郎さんの没後50周年記念の展示を観るために行った。

県美の前を通った時、このポスターに惹き込まれたのだ。洋画とはいえ、日本画の繊細で写実的な、侘び寂びの境地のような…。これは観たい。朝練のついでに足を伸ばそう。そう思って訪れたのであった。 が!! なんと開催は10月11日からで、今日は開催準備期間で閉まっていたのだ。よくやらかすミスが再び。気になり過ぎてワクワクが先行して、開催期間をうっかり見落としていたのだ。県美の道沿いの大看板に掲げられていたので、当然開催中だと思い込んでいた。あぁ、またやらかした…。だが今日のミスには意味があったらしい。


県美に向かう道で、廃墟?と見紛う風景が目の前に飛び込んできたのだ。最初はこれが何なのか全く見当がつかなかった。近くに行って写真を撮ろうと思った瞬間、理解した。これは取り壊し中の福岡市民会館の残骸だ。 頭の中に走馬灯のように一瞬で思い出がざっと駆け巡る。この舞台で踊ったいくつもの発表会、楽屋、離れから舞台に向かう通路、練習室、舞台袖から見た景色、匂い、薄暗い壁とコンクリの廊下、出待ちのスペースにあるベンチと古い鏡。バレエの発表会で、幼い頃から毎年毎年ここで踊っていた。だから思い出すのは全てバックステージの景色ばかりだ。 その思い出の舞台が、目の前で、剥き出しのコンクリートの外壁の外骨格だけになり、最期の姿を晒しているのだ。言葉に言い尽くせない、寂しさや悲しさがぐぐっと込み上げてきて、橋の上で暫く呆けたように遠巻きにその姿を眺めていた。 今日もし間違えて県美に来なければ。 もしいつものパーキングが空いていれば。 気付く事もなく、いつのまにかこの思い出の舞台は更地になり、姿を消していたのだ。 そう考えると、今日間違えて県美に来て、パーキングが空いてなくて須崎町に停めた事には大きな意味があった。 この景色を見るために。 思い出の舞台にありがとうを言うために。 わたしはここに来たのだと思う。 偶然ではなく必然だったのだ。 7歳でバレエを始めてすぐの初舞台、 11歳でトウシューズを履くようになり、先生方と踊った本公演での花のワルツ、 幾度このステージで踊っただろうか。

形あるものは全ていつか消えて無くなる。 その最後の姿を目に焼き付ける事ができて本当によかった。 この場所での思い出は、多分わたしの一生の宝物だ。



Bellydance Najm Fukuoka

ベリーダンス ナジュム福岡 -福岡のベリーダンス教室-

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