入江相政日記 第一巻(昭和10年1月〜20年8月)
入江相政日記第1巻を、3ヶ月半掛かって読み終えた。
これは昭和10年から昭和20年、終戦直後まで。
昭和天皇の侍従として仕えた入江相政が、宮中での出来事や家族との日常、
その時々の空気を、淡々と書き留めた日記である。
内容自体はとても簡潔で、日々のお勤めや出来事が、
かいつまんで記されている。
最初は、そのあまりの淡々とした書きっぷりに、
どこか距離を感じるような印象すらあった。
けれど読み進めていくうちに、その空気は少しずつ変わっていく。
昭和初期。
まだ日本が勢いを持ち、景気もよく、
「強い国」という印象が漂っている。
しかし昭和15年以降から、文章の端々に、
わずかな歪みや違和感のようなものが滲み始める。
それは決してはっきりと書かれているわけではない。
むしろ、相変わらず淡々としている。
それなのに、読んでいる側には伝わってくる。
じわじわと、何かに締め付けられていくような感覚。翳り。
まるで真綿で首をじわじわと絞められるように、
少しずつ、だけど確実に自由が奪われていくような…。
国全体が、気づかないうちに、がんじがらめになって窒息していく。
そんな閉塞感が、静かに、しかし確実に国全体を蝕んでいく。
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また、空襲に関する記述も印象に残っている。
敵機が襲来し、空襲警報が鳴る。
当初はその警報に従い、退避するという行動がとられていた。
けれど、戦況が進み、それが繰り返されるうちに、
その非常事態は次第に「日常」の中に組み込まれていく。
入江相政は、空襲警報や爆撃に対して、
「煩わしい」「癪に障る」といった表現を度々用いている。
過度のストレスと疲労の中で、
警報に起こされても退避せず、そのまま眠り続ける。
そんな記述も度々あった。
命の危険が迫っているはずの状況下で、それでもなお、日常を保とうとする姿。
それは、非常事態が日常に落とし込まれ、
もはや「非常」でなくなってしまった、どこか異様な感覚でもあり、
同時に、当時を生きた人々の、
肝の据わり方や覚悟の違いのようなものも感じさせた。
そのどちらとも言い切れない感覚に、
私は少し戸惑いながら、読み進めていた。
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ただ、この日記を読んでいて、もう一つ強く感じたことがある。
それは、この記録が「国の中心」にいる人間の視点で書かれているということだ。
入江相政は、旧華族の家柄に生まれ、
天皇の最も近くで仕える侍従として生活している。
当然ながら、その暮らしは当時の一般庶民とは大きく異なる。
戦況が徐々に悪化していく中でも、
白いご飯を口にできる日が多くあり、本を読み、温泉に入り、
時には職員仲間と酒を飲み、戦況について語り合ったり、
趣味の謡の稽古をしたり、
陛下のお供として乗馬や水泳をする時間もある。
もちろん空襲や疎開の影響を受け、決して安穏な日々ばかりではない。
子供達や妻と離れ離れになったり、
父が建てた思い出の家が空襲で焼けてしまったり、
戦時下の苦悩というものはもちろんあった。
それでも、雑草を食べて命を繋ぐような生活や、
極限の労働や貧困に苦しむ庶民の現実とは、明確に隔たりがある。
だからこそ、私は少し戸惑った。
同じ「戦争」という時代を生きながら、
今まで思ってもみなかった、
まったく異なる現実が同時に存在しているということに。
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ー私自身、祖父が陸軍として満州や南方戦線に従軍したと聞いている。
幼い頃に見た遺影の祖父は、若く、軍服を着て勲章を付けて、凛々しい姿をしていた。
祖父とは会ったことがない。
母が中学生の頃に亡くなっているため、直接話を聞くこともなかった。
ただ、南方でマラリアにかかり、帰還した後も体調不良が長引き、
それがもとで心臓を悪くし、早くに亡くなったと聞いている。
その話を思い出しながら読んでいると、
どうしてもこの日記との距離を感じずにはいられなかった。
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そしてもう一つ、強く引っかかったことがある。
この日記の中に、「一人一人の国民の命」に触れた記述が、
ほとんど見当たらなかったことだ。
帝都が爆撃され、地方都市も焼かれていく。
日本各地が焼け野原になっていく様子は確かに記されている。
けれどそこには、その中で失われていく一人一人の命や、
その背後にある家族、悲しみや喪失といったものは、ほとんど語られていない。
あくまで、国としての動き、戦況としての記録。
ー勝つか、負けるか。
その中に、確かに無数の命が含まれているはずなのに、その「個」の輪郭は見えてこない。
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そして印象的だったのは、終戦の日を迎えた後の記述だった。
8月15日、玉音放送によって戦争は一つの区切りを迎える。
けれどこの日記の中では、その後も変わらず時間が流れていく。
宮中の行事は続き、日々の務めが淡々と記されている。
空には相変わらずアメリカの偵察機が飛び交っている。
「終わった」というよりも、ただ状況が移り変わっただけのような印象だった。
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一方で、その頃、国民の多くは焼け野原の中で、
復興のために泥にまみれて働いていたはずだ。
住む場所もなく、食べるものも乏しく、ただ生き延びることに必死だった人たちがいた。
亡くなった弟を背負った少年が、涙を堪えて立ち尽くしている姿の写真を思い出す。
二都市では原子爆弾が投下され、
約21万人の人が亡くなった悲惨な現実がそこにはあった筈だ。
それを思うと、この日記の中に流れている時間は、
どこか遠い、別の場所のもののようにも感じられる。
もちろん、この記録の中にいる人々も、無傷だったわけではない。
入江相政自身も自宅を焼かれ、生活の拠点を失っている。
それでもなお、寝る場所があり、食事があり、風呂に入れる環境がある。
その違いを、どう受け止めればいいのか。
単純に比較することはできないと分かっていながらも、
祖父のこと、そして当時の祖母のことを思うと、
どこかで割り切れない感情が残る。
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そして同時に、戦後81年目となる2026年の現在を思う。
世界のどこかでは、今もなお戦乱が続いている。
ウクライナ、パレスチナ、イラン——
そこに生きる人々もまた、
日常と非日常の境界が曖昧になった時間の中で、
日々を過ごしているのかもしれない。
空襲や恐怖が繰り返されるうちに、
それが当たり前のものとして、生活の中に組み込まれていく。
死が隣り合わせの、戦争の狂気。
この日記の中にあった「異常な日常」は、
決して過去のものではないのかもしれないと、
何とも言えない気持ちになる。
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この日記は、多くを語らない。
だからこそ、読み手が感じ取るしかない部分が多い。
そこに書かれているものと、書かれていないもの。
その両方の間に、私はずっと引っかかりを感じていた。
けれど、それもまた、この日記の持つ一つの在り方なのかもしれない。
語らないということ。
削ぎ落とすということ。
その中に残るものの強さを、
今の自分は、少しだけ理解できる気がしている。
入江相政日記は全六巻。
また折を見て、二巻へと進みたいと思う。
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